映画『黄金狂時代 / The Gold Rush』。素晴らしすぎる。和製テレビドラマ『おくさまは18歳』の原型もここに。

スパイダーマン』シリーズがなぜ面白いのかといったらチャップリンを原型にしてるからなのですね。笑いのつぼを押さえてる。単純におかしいというだけでなくその中に痛快さが紛れてる。

チャップリンについては自分は映画からではなく書籍から入りました。1980年代中期に新潮文庫の『チャップリン自伝』を読んだ(※この年は読書欲に駆られ年数百冊読んでいた)。貧しい家の出身である。努力してもなかなか報われない。延々と苦しい時期が続く。チャップリンほんとに大丈夫!?と追い込まれるところである日彼は自分の作品が売れていることに気づく。それは書籍内でわずか1〜2ページの変化として現れる。その日を境にスーパースターだ。そのことを彼自身驚きとともに客観的に記述する。『スタア』という存在が映画とともに社会的に誕生したのである(映像芸術以前には社会のどの階層にも同様のインパクトを与える=顔見知りであると知覚される存在はあり得なかった)。

彼にとってもスタアの誕生はまるで他人事のようだ。売れることを希求してもそれがどういうことなのかわからない。何をもたらすのかわからない。以前の時代にもそれはわからなかった。社会現象のひとつとして人々が大勢押し寄せる、マス・ムーブメントとして人々を動かしてしまう。

作品見るとそうなるのも納得。着たきり雀の貧しい身なり。金はない、貧弱な肉体。移民直後の米国人一世の姿だ。大衆のひとりであり現代でいうところのモブである。それが黄金の1920年代に向けてど底辺から力をつけ、あるいは運命に翻弄されて世を流される。そういう人々を主人公としているわけで、チャップリンは弱者の味方なのである(当時のベストセラー『自助論』と対をなす存在である。スマイルズが救わない側をチャップリンは救う)。自助しろといっても家すら食い物すらない。そちら側を描いてヒーローにしてしまう。大衆を理解しそれを表現する。米国支配層の投げかける言葉「自助」「自助」「自助」! それに対抗できるものこそチャップリンなのだ(なので戦後に国家から赤狩りの対象とされてしまう。国が危険視するほどの存在である)。

—————-

もう一冊読んだけど表題を忘れてしまった。撮影やシナリオ技術の解説だった。背景やライティングにどれだけこだわるか、完全を求めてどれだけ撮影を繰り返すのか。主観的努力でなく客観的努力を示す。彼は監督や脚本も兼ねてる。フイルムの確認も即時にできない時代に尋常じゃないエネルギーを注ぎ込む。彼自身映画の虜なのである。

—————-

チャップリンは女たらしでも有名ですが膨大な女経験が脚本にすごい魅力を与えてる。「ねー絶対こうだよね」理念でなく感覚として観客も巻き込んでしまう。女性の裏も表も描いててそしてさらに魅力的なんだ。ダンスホールの女性たちがドアの向こうに続々と積み重なってるの見てもう私手を叩いて部屋を転がり回ってしまいました(この辺『おくさまは18歳』まるまるコピーしてます。驚いた。あの舞台劇的な様式や部屋のセットや畳み込むようなキャラの掛け合いなんてチャップリンの小屋とまるでおんなじ)。

※ハウススタジオなんかで映画なんて作れないよなあ。映画用に専用にセットしなくては。大道具小道具が活躍しなくては。