懐かしのホームコンピュータ。

1980年頃。

電通大助教授であった安田寿明氏の著者『マイ・コンピュータ入門』『マイ・コンピュータをつくる』『マイ・コンピュータをつかう』のインパクトは凄かった。講談社ブルーバックスであり本自体の入手性が高い。どんな田舎町にも新書を扱う書店はある。読書率は高く現代の人間がSNSを行う頻度で読んでいる。そしてまた読んだ本の貸し借りを行う。中高生から大人まで読む。そしてまた昔の人間なので読んだら即行動に移す。かなりの人数がこれらの本にインスパイアされていきなり的に斯界に飛びついたのです。

ラジオの製作』が売れておりこてを握った人間は多かった。中学の技術家庭で最初に作るのは自分用の半田ごてだった。世間は受け入れる準備ができていた。

作ったコンピュータで何を行うかというと機械のコントロールである。

最初期の自動計算機が織機のコントロール技術から誕生してきたようにメカニックを動かそうというのだ。ブラウン管は各家庭に1〜2台しかなく高価で入手性が悪くテレタイプはそれ以下なので、コンピュータの入出力もそれらに負うことができなかった(以上はゲーム機の登場により克服された)。人間の視聴覚を奪うのではなく、人間の視聴覚の代理となろうというのである。

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ここですよ。この考えですよ。最初の目標はこれだった。

その志向は具体的には自動車の燃料噴射技術に取り込まれて日本車の信頼性アップに貢献して世界市場を制覇する。キャブレターの時代は欧州車の方が売れてたのである。

しかし世の中には可視化されず人々との間に距離があるままだった。一般での受容はゲーム機を通してであり断絶の存在があった。

このとき、ファミコンでAC100VのON/OFFや赤外線送受信ができてれば!

時代は変わってたと思うんだよなあ。ロボット技術はここで誕生していたと思うんだ。

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あの安価で強靭な筐体。子供がハンドリングしても全く問題にしない。

台数3倍に増やして家庭内機器をじゃんじゃん接続可能にしてもよかった。そういう提言ができたはずだった。

できたんだよなあ。