ロボットの動作確認て4日前(11日)だったの!? 1週間〜10日経ったものと思ってた。動作する幸せについて。

動作確認だけなので機能的にはまだ未確定なわけです。今日も改造。

それにしても機能増えたなー。要らないものまでついてる(今後使うかもしれない。だから排除はしない)。

このぺたぺたと機能の後付けが可能なところがロボットだ。事後的に拡張する。最初の見立てと全然違ってくる。変化は必然である。決め打ちにならない。走りながら仕様を確定するんだ。変化するから世界の処理が可能なのであって、要するに設計図は私の頭の中でなく世界の側に存在している。

※あれ? 先日のイデア論とは違ってきてしまいましたね。こちらは仏教的解釈です。粒子が相互作用することで世界は成り立つ(孤立した粒子は存在しない=そんな粒子は世界とは無関係である)。ヒトを人間とみる見方だ。まあどっちでもいいでしょう。

※動作する、ということが視認できるだけでもうすっごい幸せ。徒労でないと実感できる。自分の外部に動作するものがある。これはちょっと驚くような現実であり自分を説明する苦労や困難すら存在しない。自分はどういう人間なのか、ロボットを見ればわかるのです。ロボットが代わりに語る。自分は肩の荷を下ろせる。給与所得者がトロフィ代わりに家を建てるのと類似だ。自分の外部にそれがあるからいい。視界内に存在するからロボットは素晴らしい。

※11日からの3日間の虚脱感が凄かった。「人生もうおしまい」「今後いいものに再度出会えないかもしれない」出尽くした感覚にとらわれてしまい身体の動作が一切できない。買い置きの牛乳を飲み倒れたまま疲労回復を待つ。感じるのはめまいと吐気だけなんだ。昨日はやばかった。米を炊き腹に詰めたら10時間以上気を失ってた。眠るのではなく気を失う。板張りの床に倒れたままだ。そして今日は再度の加工。この触れられる物体があるのがうれしい(ハンドリングできる=操作可能であるところがうれしい)。