大阪転勤者にミナミのいいとこ語ろうとしてドン引きされる。

「会社でもミナミに寄るなと言われてるんです・・」なんなんだそれ・・

まあいいでしょう。でもそうなると坂田三吉とか織田作之助とか浪花恋しぐれとかそういうの全部わからないものになっちゃいます。わからないままでも暮らせますがわかればもっと面白い。というよりわからないんじゃどこで暮らしてても違わない。

うーん。

※それは過去の話でありおそらく現代では通じない、というようにみられてしまう。じゃあ切り捨てる? 忘れる? 埋没させる? そういう目線じゃないんだな。

文学や歴史の出る幕があり過去の事例が未来にコンテンツを生み出す。現代のアニメやゲームとかその集大成である。そこでは歴史的人物たちが外観も性別も変えられて勝手に引用されユーザもそれらのイメージに勝手に引きずられている現象がありますが本来それらの空間は従来型文学や音楽やあるいは生活環境そのものが満たしていたものなのだ。将来的に逆転する可能性もある。現在の飽和っぷり見る限り既に使用済みの歴史人物たちの生産力は限界に近い位置にある(ラノベソシャゲ界の織田信長クローンは現在100体以上あるようです)。

ガンダムのプラモデル=ガンプラの子供への訴求力が落ちています。ソシャゲキャラはいま大人気ですがそれらは次のガンダムである。世代を越えたら訴求できない。20年後は繰り言となる。おじいちゃんたちが歴史人物の女体化キャラを熱く語ってる様子を想像しましょう。現代の20代であれば冗談やブームで済ませられますが彼らはそのまま生きていく。

従来型文学の方が利用者の利用環境が時間的に幅があるということである。

大阪大学大学院に向かったGAKUSEIは聴雨の素晴らしさを知った。将棋の勝負である。テーマ的に現代にも通じかつNumber等で記されているスポーツライティングの古典的名作である。デビッド・ハルバースタムなみなのだ(超えている)。その先駆である。