内燃機関の素晴らしさ。脱原発脱石炭火力発電について。

日本は内燃機関があったから発展したのです。

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田舎のひとのあの絶対的な信頼。車は正義だ。高等学校を卒業したら(あるいは在籍中にも)必ず免許を取るのです。

職場に通うのに必要である。職自体にも必要。乗り物を動かして輸送や移送を行うのだ。農業漁業は直接に機械の操作である。運転が出来なきゃ話にならない。

人力や畜力は使えない。ON/OFFしてもせいぜい1馬力。内燃機関なら瞬時に数十馬力。その差は効率として現れる。東南アジアやアフリカを一段低く見る日本人の視点ですが、農林水産業を見る限り、機械化農業以前には差なんてないも同然だった(2〜3倍程度の差)。機械化以前の日本では第一次産業従事者は人口の70パーセント以上! 土日なしの働きづめ。レジャーも読書も音楽もなし。それにてぎりぎりにやっと食えていた(カロリーベースで1日あたり2000kcalが下限として維持されていたということ。もちろんタンパク質等は現在の水準より低い値である)。第三世界と違いなんてなかったのです。

第一次産業が機械化されたから食事が取れ農業から余った人々が他産業に従事し労働枠の拡大が行われた。教育の拡大はこの他産業への従事者を増やす目的で実行された。

実際に農業国であるニュージーランドでは高校生の段階で人々は家業に取り組む。国土面積は日本に近いのに大学は8つしかない。

大面積を少ない人口で管理する。直に機械の導入である。

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このとき使う内燃機関の性能・構造が素晴らしい。燃料は買置きで半年は優にもつのです。

つまり自律的行動が可能である。なので田舎でもがんがんに導入できる。自動車産業草莽期の電気自動車はやはりライバルになり得なかったでしょう。

内燃機関搭載機はもれなく発電機を積んでいる。コンプレッサを積んでいる。この発電機がライトやオーディオやナビゲーションやワイパーのモータやドアロックのアクチュエータを動かしコンプレッサがエアコンを動かして車内の水を捨てる。本当は前に進むためのエネルギーをそちらに振り分けてしまうのだ。そしてそちら側の利用が増えた姿が昨今の渋滞路にはまった自動車の容態である(エネルギーは主にそちら側に使われている。ラグジュアリーサイドである/乗車者の目的はそちら側の利用である)。

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これは全て内燃機関の自律性に因っている。自律的にエネルギーを供給できるので内燃機関の利用者はスマホタブレットも走行中に充電してしまうのだ(移動中に充電してしまう)。

内燃機関非利用者=電車や徒歩の利用者はスマホタブレットも移動中に消耗するばかりである。スマホタブレットの利用は内燃機関利用者よりはるかに多いのにエネルギーの供給はない。全くもって逆である(ライフスタイルとして考えるなら電車や徒歩の移動時に「充電」できる環境がなくてはおかしいという話である)。

※なのでネットカフェ等の利用となる。充電可能ならコンビニも使われる。これは利用者の段階で負荷的に逆転している可能性がある。手ぶらで出かけたはずなのに機械の負担が大きいわけだ。スマホの利用者は家を出た段階でバッテリーの残量を常に気にし続けているわけだ。

※持参可能な発電機=超コンパクトな燃料電池等の開発はおそろしく重要です。これがあれば文化は変わる。真に自律的な社会が構築できる。文明そのものが変化する。莫大なニーズは確実にある。

エンジニアとして開発目標を設定するならまずそちらになるでしょう。

それがあれば脱原発も簡単でしょう。脱石炭火力発電もスムーズにいくでしょう。というより脱原発〜脱石炭火力発電とはそういうことである。電力等のエネルギーが使われるその現場に合わせる意志である。

※かなり重要なことを書いてます。「なんだそれは」で済まされない。この超コンパクトな発電システムがロボットのあり方を決定するからだ。自律性に真っ先に必要である(逆に言えばパーソナルな発電システムがないから現時点で有用なロボットが存在しない)。

もちろんロボット以外にも軍事活動、極地開発、砂漠緑化地方分権、国際交流、災害対策等全てのジャンルで有効です。

※災害時に逃げ遅れる人々の存在はエネルギー配信経路の末端に人々が縛り付けられそこから移動できない現実を表しています。建物にテレビもエアコンもパソコンも電話も備え付けてなかったら(江戸時代の家屋同様だったら)人々はフットワークよく移動していたでしょう。災害後の復旧も手早くできたでしょう。エネルギーの自律的な供給システムの獲得でそのフットワークは回復するでしょう。

※「正常性バイアス」ではない。そこで仮定している正常性とは具体的には家屋に導入したエネルギー消費システムの稼働と使用である。人間の判断があるのではなく機械を設置したその場にいないと社会との接続ができないのだ。それを排除するのは難しいと思われますが(人間の基本的な欲との戦いとなる)土砂崩れまで頻発しているのをみると治水は困難であり家屋やインフラにコストを投入しても回収できないと考えるしかない。借金して家を建てたり温泉旅館を建設するなど今後の施策として無意味ということである。正常性バイアスがあるとすればお金をかければ現地で将来もここ近年と同様の暮らしが営めるであろうというその期待である(100年前の暮らしを想定してそれの維持であれば十分可能と思います)。