夢のような空間。あるいは3画面モニタの逆の環境について。

またまた間違っている(間違っていた)可能性もあるのですが。

ひょっとして夢のような空間は形成可能なのではないか。視覚的に負荷の低い、人体を机や椅子に固定しない、左右の手を拘束せず肋骨の動きを抑制しないで呼吸も楽になり作業自体が無理なく行える環境。

つまり3画面モニタの逆の環境である(3画面モニタは地獄でした。放射状にモニタを配置し人間の位置を中心に固定してしまいます。この焦点の位置から人間は逃れられない。人間を拘束する装置である)。

私の身体が机への固定を拒否し、目線のモニタへの固定を拒否し、両腕がタイピングを拒否しているとなると現代的生産活動に不安を感じるわけですが、少なくとも全部の作業ではなく行動の一部に限定するならば排除することは可能である。

iPadやスタンドやVGAコンバータやプロジェクタやベンチや他の道具を使うことでそういう空間はできるのだ。

カウチ的ソファーやリビングのテーブルや昔ながらのこたつなどには郷愁を持たないのですがそれらを好む人々がいるのは理解できる。3画面環境作りする人がいるのもわかる。彼らはそれを好きで行なっているのだ。

私の好きはなんだろう? それは有った。日常だった。私は忘れてしまっていたのだった(※過去のそれでは視覚的入力はありません。今回それをするとしたら視覚入力をいかに確保するかに課題がかかってます)。

※幸いなことにプロジェクタはあります。使うかどうかは検討してみるべきですが(図面をひいてその通りに設計していいものができると全然思いません。使用しながらベストを探るべきである。フィードバックをかけない行為は妄想の具現化であると思っています(図面はもともと妄想です))。

 ※この空間への模索はちょっと前の人体実験からはじまった。空間を変えることで課題は解決するかもしれないのだ。

開高健「死にたくないから旅に出るんだ・・」それは普段の空間が夢のような空間でなかったからかもしれない。まあ開高先生の場合作家活動として旅行が必然だったのかもしれませんが。いわゆる缶詰、その空間がもし夢のような空間であったとしたら、方針も違ってきたかもしれないではないでしょうか。

※それにしても盲点だった。これはもしかするとロボット化=自動化の逆の発想にある。自分がこれまで求めて設計していたものと逆の方向である。すっかり忘却してしまっていたのだ。この点も驚きである。

※いや驚きではないかもしれない。部屋にベッドを入れることすら5年間以上も忘れていたのだ。ベッドで寝ることさえ忘れてたのだ。