1987年。福井の学会の帰り道に福島の山の中で深夜にパンクする。

学会には教室全体で参加する。参加費は出ているのである。

あるタンパク質の抗体を取っていた。モノクローナル抗体である。それは間に合わなかったのだが学会には出掛けたのだ。毎年秋に行われる日本生化学会である(先輩の応援と自身の関心のある領域に関しての視聴である)。

バイクで深夜に向かったのだ。

ウサギとマウスを飼育していた。それ以外に株細胞もである。これらの世話が大変だ。いちいち滅菌し、中3日開けられないのである。世話を始めてから長期間の旅行とか不可能になった。自分以外に世話者がいないので(自分の研究だけ必要としていたので)これは大変なのである(マウスは増やす目的もあった。BALB/cである。買ってくるとなんだかんだで高いのだ。空調と餌とケースはただなので利用して増やす。どんどん増えて面白い。しかし使うときは一気に消費してしまいカゴはがらんどうになってしまうのである)。

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自転車やバイクで年中ツーリングしていたお外大好きな自分である。そんな自分が身体を定置して日々マウスや細胞の世話である。

部屋にこもってられない自分である。つらい!つらい!つらい! 辛さ以外の何も感じなかった。大学とは、研究とは、これほど環境に縛り付けられるものなのか。先輩が帰宅するのは午前0時である。当然バスとか終わっている。昼も夜も飯は学食である。自炊も食べ歩きもない。ひたすら学食の代わり映えのないメニュー。音楽も映画もないのである。

学会大会のあの開放感は如何許りであろうか・・

他大学の先輩についてった。気に入られたのである。福井の食べ物は物凄く美味い。日本最高水準に近い。格子戸のあるような街で飲み歩いたのである。前日には朝方その辺の温泉街でお湯に入り、夜には福井の焼肉屋を勝手に訪問する。紅顔の美少年の私である。あっという間に地元の人々と盛り上がりビール責めに会ってへべれけになって IWAASA の取ってた部屋に転がり込むのだ。

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その帰り道。稲の刈り取り終わった秋の空である。

朝方出発して新潟県前後で渋滞に捕まる。日暮れまでとうとう抜け出せない。磐越西線沿いに福島県経由で仙台に向かうか山形県の小国経由か。行ったことないルートをもちろん選択する私である。

峠に向かい高度を上げる。この時に既に日は沈んでいた。

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国道なのに狭い。速度なんて全然上がらない。工事車両すらすれ違わない。

でかい釘を踏みパンクしてしまったのである。

街灯もない夜の道。惰性で走る。ギアは1速2速である。工具とポンプとタイヤ修理セットは持ってた。なんで学会にそんなもの持ってったか知らないが、モトクロスパンツにモトクロスブーツを履き、そんなのも用意してたのである。

線路沿いの駅に着く。ひと気はない。磐越西線は当時も今もローカル線である。

ヘルメットを脱ぐと頭の中に排気音がこだましてる。昔のバイクはうるさいのだ。眼の奥と喉が痛い。排ガス制限もゆるゆるの時代である。バンダナを取ってミラーを覗くとほうれい線の形にしっかり埃の跡が付いている。500km近く走って体の中は乾ききってる。

何か、何もかも嫌になってしまったのだ。

自販機がありビールがあった。500mlのサッポロを2本買う。何故かラジオとコンビーフは持ってる。晩飯はそれで間に合う。寝袋はないので着替えを着込んで寝る。この駅に降りるひとなどいないのだ。

学会用の衣服にモトパンから履き替えて駅のベンチで横になる。

自分の明日はどこにあるのか。自分は本当にこのままやっていけるのか。

※この半年後、全く別の生活になるのである。SAISHOくん、FUKUHARAくん、MORIHIROくん、HIRAKOCHIくん等とつるむわけだ。バイクは降りた。自動車での生活が始まった。来る服は毎日スーツである。昼は大学に夜は塾に。24時間働くのだ。24時間遊ぶのである。

ユーロビートを掛けながら夜の仙台を走る、その半年前、疲弊しきった秋だった。