世界が(現在の日本が)求めているものはもしかしておそろしく単純なものではないだろうか。フライボール革命について。

「あるもの」がほしくてたまりません。需要を満たすのはロボットだ。実際にニーズはあるのである。

効果は実証されている。あるスポーツにおいて必需品である。実際にその機械なしではそのスポーツのレベルアップはないと見なされている。

例えば野球のバッティングマシンだ。高校野球では必需品である。打撃力アップにはこの機械の導入は既に不可欠となっている(守備ではビデオ、打撃ではバッティングマシン等、現代のスポーツでは機械の導入は必須である。

この穴を突いたのがフライボール革命だ。2015年頃からメジャーリーグで始まったのだが、バッター毎のくせをビデオ分析で解明し守備者が最善の位置に陣取るため、内野ゴロが困難になってしまったらしいのだ。なのでとりあえず打ち上げる。長打ねらい一本である。要するにビデオ分析対策である。野球というスポーツが既に機械なしでは成立しなくなった証拠である。このリセットが求められたというわけだ)。

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スポーツ練習の無人化が必要である。ローコストでメンテが容易で個人で運用できなくてはならない。

少なくとも軽自動車に入りその上で人間2〜3人乗れなくてはならない。

これは先程のスポーツの機械化と並行して理想とされるものである。先程の事象とは独立しているが、異なる方面からもその導入は期待されいている。

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というのは、現在存在する自転車ブーム(あるいはおそらくちょっと前に存在した自転車ブーム)の根幹は、個人運用が可能ということが理由にあると思うからだ。半無人化・省力化である。自転車は自動車で現地まで運ぶ。そしてコース状の場所で漕ぐ。しかし危険であり多くの面積を要する。そうまでして購入者は乗らなくてはならない。

あるいは筋トレ、狭い面積に多くのひとが集う。個人で任意に参加可能だからだ。筋肉の量は関係ない。がりがりに痩せた若者でもジム参加者は多い。この手のジムのフランチャイズ・チェーンは多いのである。

ところで平日のテニスコート、野球場、サッカー場はその面積が余ってるのだ。どういうわけかがら空きなのである。

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これらの競技場に自転車を走らせるわけにはいかない。走らせても意味はない。それらの競技場はそれ専用に仕切られている。

大変不思議だが、学校体育的な運用がなされない単独のスポーツ専用なのだ。そのスポーツの専門家が管理し他の介入を許さないのである。

それらのスポーツには一定の人数を要する。サッカーも野球もチームスポーツである。競技レベルに合わせたメンバーの参加が必要であり自転車やジムのような個人水準での運用ができない。つまり空く。平日の市民競技場はただの野っ原にすぎない。

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これをジム化する。個人運用が可能な形式に持っていく。軽自動車にひとりで乗って現場入りしそのまま使える形式に持ち込むのだ。

もちろん機械は現地に事前に設置してあるのが理想である。しかし野っ原に野ざらしにしておくことは事実上不可能である(メンテ不可能で故障し学校や市の負債となる)。

メンバーの設定が困難であれば自動車での現場入りで全部解決な形に持って行くのだ。これで多くの面積が再利用可能な形となり面積効率が上昇する。3倍の活用が可能になりスポーツ参加者の草の根的増大に寄与する。

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カヌーではこれは可能である。カヌーは個人運用可能なスポーツだ。自動車で現場入りしひとりで乗れる。ひとりで乗れることを理由にフリースクールでの活用もされている(ARAHATAさんが実際にやっています)。

ところで同じ時間帯に多くのテニスコート、野球場、サッカー場が空いているのだ。フリースクールのメンバーはこちらで運動することも可能なのである。ところがこれらの競技場は学校が主導する部活形式のカルチャーが陣取りそれらの競技者が専用に使用する形式のものとなっている。

大変に不思議だ。フリースクール生徒はこちらでテニスしててもいいのである。

フリースクールのメンバーが一日中テニスをし、真面目な部活のメンバーが早朝と夕方に短時間のテニスだけ行っていた場合では、効果はどちらが高いのだろう?

あるいは普通の生徒が部活に向かっている時間帯に、余っている教室を使ってフリースクールの生徒が逆に勉強に向かう形式だって考えられるのだ。

これはおかしなことでなく大人のスポーツでは至極当然の日常である。学校環境と異なり大人はみな時間帯をずらして活動領域を重ならせて生活している。全員を同期させ運用しようとする学校だけが特別なのである。

つまりフィールドの活用は発想として学校文化からの脱却を求めることになるわけだ。ところがテニス野球サッカーは学校の部活文化と直結してるのである(なので部活文化と直結してないカヌーの利用となる。使用する道具に意味があるのではなく、その文化を維持している人々に原因の何かが求められる)。

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余ってて使用されないテニスコートの存在は日本だけでなくニュージーランドでもある。現地では日本と同じように公園には子供向け遊具が意味なく置いてある。つまり世界的問題である。

ここに機械を持ち込み勝手に運用可能にする。平日にひとりで来て遊べる空間が突然勝手に誕生する。

これは最先端のテニスカルチャーに触れたり部活形式にしたり世界の頂点を目指す形式のものではない。遊びである。ゲームで艦これやFGOをやり込むようなものである。

艦これやFGOは誰もが可能でありいつでも可能であることから普及した(と判断してます。私はどういうわけかゲームができない。理由不明)。それと同様に任意参加で随時参加の何らかのものがあれば、自転車やジムと同様に間口を広げ運用可能と見なせると思うのだ。学校文化が間口を狭めてしまっていると判断しているわけです。

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世の中は実際には任意参加で随時参加のものです。しかし学校文化が世の中を仕切っているから任意参加で随時参加という部分が隠蔽されてしまっている。それが社会の非効率につながる。

その仕切りは精神の中か社会の中に存在している。空いている競技場は空いている、その理由は社会や精神に課題があるからだ。

なんて勿体無い。やりたい人はおそらく多くいる。例えばいま艦これやFGOをしている人々である(仮説です)。これらのプレイヤーは現在はスポーツでは自転車に乗ったり筋トレでジムに通ったりしている。個人運用が可能だからだ。あるいは部活カルチャーと異なるからである。

先日記していた究極トレーナーはジム的に活用するトレーニングロボットの一種ですが、こちらの競技場ロボットの方が実際のスポーツに活用でき、ニーズがあるでしょう。これらの活用は日本の文化を見直すためにも役立つでしょう。風通しをよくするために使えるでしょう。