ちょっと待ってフェリーって最高じゃない。

四国から東京で2回、九州から東京で1回使ったなあ。

そういうのも20世紀中の出来事でした。ある時期に調査で日本中取材することを生業にしていたのです(YAMAGUCHI さんに感謝。氏からはビジネスの手法や挨拶回りの仕方、頭の下げ方等沢山教えてもらった。それらも「◯◯はこうだからこうする」みたいに言辞を通すのでなく、その行動を見せるのだ。見せて理解させる。県庁を訪問するときなど必ず出掛けにお土産を用意するのだ(※個人で)。これで私も土産の習慣がついた。その習慣がその後の人生において猛烈に役立ったことは言うまでもない)。

長崎や札幌は流石に飛行機往復でしたが。フェリーのある場所はフェリーで向かっていた。サイドカーで行ける場所はサイドカーで。そういう自由を裁量させてくれた。なんと現地でスーツに着替えサイドカーでインタビューに向かうのです。これ21世紀では非常識と言われてしまうかもですが20世紀は許された。おおらかな時代だったんだなあ。

-----------

フェリーです。乗りたい。実は四国の徳島まで向かうのなら長距離バスなみに安いのだ。片道1万円ちょっとである。東京は夜に出る。徳島には昼過ぎだ。船内で一泊するわけなのだがきちんと風呂とベッドが付く。ホテルで移動するようなものである。この優雅さ! 最高なのである。

-----------

本を持ち込んで読むのだ。知識を貯め込む本じゃない。小説である。

昔は雑魚寝だった。ウエストバッグを枕に小説を広げる。晴れてれば甲板上で読む。潮風は丁度船の速度で流れてくる。

陸地が見える。陸に沿って進むのだ。沿海航路は常に陸地沿いである。数キロの距離は泳げるものなら泳いでたどり着けるだろう。

-----------

苫小牧から仙台まで。1度台風で閉じ込められた。接岸時に沈する可能性があるので(※洞爺丸台風)沖合で嵐が去るのを待つんだ。食いもののない一晩を過ごす。誰もが無言である。フェリーには航路上で必要とされる分以上の食糧は積んでないのである。

上陸時の開放感は格別だった。スロープが開き結束バンドを解きサイドカーのエンジンを始動する。先ずは飯屋だ。コンビニだ。驚くことに日本では(世界でも、ですが)何処でも24時間飯を食うことができるのである。