「懲戒権」に見直し論=虐待死相次ぎ機運高まる うーん・・ 私は「親」「教師」以外の人々がでしゃばることにより本件は解決すると思います。親や教師に全権を付与したことこそ問題である。懲戒権の削除では根本的な解決には至らない。本節末尾に解決法を記します。

私も見直しに賛成ですが、おそらく他の問題が発生する可能性も捨てきれない、即断は禁物である。

現状の何が問題か?

それは懲戒権を持つ親が過剰に干渉することにある。同様の事例は学校でも見られ、そこでは教師が内申書の権力を持って生徒を蹂躙している。「親以外」「教師以外」の世界はなくなってしまった。「親」「教師」が個人の管理や評価を独占しているのである。

過去の世界はこうではなかった。親以外の人々教師以外の人々がいたのである。親や教師が無謀を働くとその他の人々が異論を唱えた。なのでニュートラルな価値観が存在し得た。

親や教師から懲戒権を取り除いても本件は解決しない。それは価値観のバッティングによるものであり、依拠する支柱が別になければ結局何かで縛り付けることになる。他の価値観の併存こそ重要であり、そのためには家や学校という枠の存在こそ破壊すべきものと考える。

※なので私は入試関係における「内申書の重視」に対して大大大反対です。ろくな結果をもたらしていない。教師という個人に全権を付与するなどどうしようもない時代だと思う21世紀は。

※視点を変えられないんだから話にならない。全員近眼である。象の尻尾を撫でて象を知るの例え通りである。

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「懲戒権」に見直し論=虐待死相次ぎ機運高まる-ニュースQ&A

2019年02月23日15時06分

 子どもの虐待死が相次いだことを受け、親が子を懲らしめることを認める「懲戒権」の見直し論が政府・与野党に広がっている。「親が虐待を正当化するために悪用している」として、民法からの削除などを求める意見も出ている。
 -懲戒権とは?
 民法822条が規定する親権の一つで、教育や監護に必要な範囲に限り、親が子どもを懲らしめることができるとされているんだ。2011年に成立した改正民法で「子の利益のため」との記述が追加され、明治時代に存在した「懲戒場」に関する規定も削除された。
 -どうして懲戒権が議論になっているの。
 18年3月に東京都目黒区で親の虐待によって5歳女児が死亡する事件があった。政府を挙げて再発防止に取り組む中、今年1月に千葉県野田市で10歳の女の子が虐待を受けて亡くなり、虐待根絶への機運が高まった。政府は今国会に提出する予定の児童虐待防止法などの改正案に体罰禁止の明記を検討している。合わせて民法の懲戒権の規定を見直す検討にも着手したんだ。
 -懲戒権で体罰が認められているの。
 18年3月の参院文教科学委員会で、法務省の担当者は「時代の健全な社会常識により判断される」と明言を避けた。ただ、この担当者は、11年の民法改正によって「懲戒として有形力を行使することができる範囲は相当限定される」とも説明した。つまり民法が認める体罰は、かなり限定的ということだよ。
 -どう見直すの。
 条文そのものを削除したり、「懲戒権」という名称を変えたりする意見がある。以前は「しつけ権」とする案が出ていたね。
 -政府は見直しに前向きなの。
 安倍晋三首相は国会で「法務省に検討させたい」と答弁した。民法を改正する場合は原則として法制審議会(法相の諮問機関)で有識者が議論している。11年の改正に携わった有識者の一人は「体罰を容認するような空気があった前回と違う」と話し、見直しに期待している。
 -法制審の議論にどれくらい期間を要するの。
 法相が諮問した場合、議論に少なくとも数カ月はかかるとみられ、意見公募(パブリックコメント)を経て、答申という流れになるね。(2019/02/23-15:06)

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※現代人は他人をコントロールしたいという意欲が強すぎます。汚らわしい。神でも仏でもないのに。人間なのに他人の人間をどうにかしようとする。他の人間を自分が所有していると思っている(そして所有させる)。狂っている。

※こうなってしまった原因にはメディアの普及があります。テレビや本や新聞などのメディアが汎在し、ありふれてて目につきすぎる。ひとは無意識にそれらを読んでしまう。それらは人間のカタログである。

視聴者はメディアを見て人間を見ない。人間を知ろうともしない。人間のカタログを読んで実在する人間をその枠に当てはめようとするのだ。狂気である。

子育てを学ぶなら実際の子供に触れるしかない。父親母親はテキストを読まずに先輩の家に行って先輩と子供らを見るべきである(←根本的な解決法である。先ずひとの家に向かうべきである)。