鍛錬。

自分でも時々考える。何故こんなことしているのか。

-----------

成長があるからだ。この一点に尽きる。脂汗を流すだけ発見や明察がある。その発見や明察が快感だ。自分の身体はこの快感によって動かされている。身体を動かすことが即時に快感をもたらすように知識が直接の快感をもたらす。

先達の与えてくれる知恵もある。先達の知恵がなくてはそれをしない。知恵の連鎖がうれしいのだ。周囲の人々が知恵を所有するケースも多いのだがそれの無い世界があることを私はこの4年間で知ってしまった。即物的な場があるのだ。猛烈な渇望と飢餓。探索する対象は無制限である。しかし方向性を持たないことでは必敗だ。この方向性は自身の内側から発見しなくてはならない。

-----------

全くの偶然でやってきた。偶然である。求めてもいなかったのだ。日常の作業のひとつだった。たまたま自分に可能だったから自分はそれをしたのだ。

当時私は身体を壊していた。身体の修復とか負荷となる人々がどうとかそういう理由を自分で穿ってみてしまった。違うのだ。本質にあるのは知恵への愛着である。

MORIHIRO や HIRAKOCHI とならこの話題でおそらく一瞬で話が合う(実際に話が合った)。HASHIDUME さんでもそうであろうし北大の HASHIMOTO 君や鹿大の SAKURAI さんでもそうであろう。知恵を愛好する人々である。知恵が力であることを知っている人々である。

-----------

本当に仙台に向かっただけで慢性的な頭痛は一瞬で消えた。迷いは消えたんだ。

ありがとう。皆に感謝。もちろん ARAHATA さんにも感謝だ。

※ 自分のイメージが日本や世界を自転車で走り回ってる自転車怪人というところで爆笑してしまった。確かに自転車大好きで常に乗り物と一緒に行動していて、しかし1994に仙台まで自転車で走りに行ったときにはその前々日に本を一冊書き上げていたんだ。本を書いたから自転車で走りに行ったのである。知への愛好の結果である。

おそらく今回は4号機が一定の稼働を示したから仙台に遊びに行ったのだ。

自転車怪人じゃないんですよ。でも自転車怪人なんですよ。それは私の身体と合一であり分別不可能だ。飯を食うのと同じなのである。