都市とは配管である。京都人の人格形成について。

神君 徳川家康。彼はどうしてそのことに気付いたのだろう?
江戸幕府の凄いところは最初から河川の整備に取り掛かったところだ。利根川の経路を変え、上水道を整備し、下水に相当するものは船によって葛西へと運ぶことにした。これによって安定した生活が保たれ将来の拡大に対応できるものとなった。
中国の都市を模倣した京都ではそれは行い得なかったのです(全部が道路を経由するものとなる。それでは拡大はできないし一部の故障で全てが破綻する)。
京都が首都の時代では年中飢饉や暴動の記録が残されていますが。
江戸を中心としてから都市部においてそういうものはなくなった。
配管を整備してない京都では最初から疫病が蔓延するしかなかった。食糧が不足するしかなかった。京都の荒廃は都市設計時に既に把握されるべきものだった。
定量の人口だけ想定され、その容量を超えると一気に病気や飢饉が発生するのです。
平将門の乱時代の盗賊の跋扈、平氏の遷都の動きや以後の鎌倉幕府の建設など、それは京都の容量不足による破綻こそが原因である。
なので京都は外部からの移入者を排除する。容量を超えると即疫病となるのだから、京都人にとっては移入者=病原体である。そういう意識はおそらく後天的にできた。京都の人間にとってはそう意識しなくては自身の立地が破壊されてしまうわけだ。
京都は他国の都市を模倣する妄想の中で作られた。
それに対して江戸・東京の設計は素晴らしすぎる。
「河川改修」「水道」「汚水処理」。これ下手したら外部の人間が入り込むテロの入口ともなり得るものです。
それを貫徹できるのは人々の意識が正の向きに統一されていたからだ。
この都市設計案はどこから生まれてきたのだろう!?!?