前項続き。日本は従来の社会構造の維持は不可能である。だから外国人労働者受入を行っており、その破綻停止には認識を根本から改める必要がある。

(この項おすすめ。結論を書いてしまうと立派な不動産は不必要ということです)
30年前の日本。山奥には「冬季孤立村」が存在していた。
福島県の奥地にある村などは大雪になったら平気で3週間以上道路交通手段を失ってしまう。
もちろん大丈夫である。そういう暮らしを前提としているのだ。食糧は半年分程度保存できてる。おやつは干し柿も乾燥芋もかきもちもある。全部自家製でできるのだ。たんぱく質は乾物である。燃料は薪である。これで家の中で暮らすには問題はない。
問題は社会と交換できる何かを生産できるわけじゃないってことだ。市場経済が営めない。
ものを買えない、対価を払えない。これでは現代の若者は暮らせない。ガソリン使って隣村に向かうこともできない。スマホも使用できない。
家の周囲には果実が熟し、野菜も米もおそらく食べ放題でありながら、しかしそれらを採取できる時期は明確に限られ(※これは農家を始めて最初に感じた驚くべきことです。非農家だった自分からは衝撃です。おそらく非農家は永遠にその衝撃を知り得ることはない。家族でも絶対に伝わらないのだ。同じ農家で育った兄弟でも伝わらない。自腹を切った人間にしか伝わらないのである。
金を得ようとして働いてもそれは「9ヶ月先」になる。換金作物ができないのだ。土地を耕し肥料を入れ種を播き管理する。肥料も種も現代では市場から購入である。最初に借金から始まるのだ。しかも9ヶ月先の市場の予測は立たないのである)じゃあ冬には何をするんだ?てことになる。
北海道のじゃがいも農家とかほんとどうしてるんだろう? 年間4ヶ月は土地は雪に閉ざされる。機械の整備以外に農家はすることもない。
それでも土地を離れない。土地や家の整備があるからだ。子供たちは土地の学校に行く。地域社会はそれで存在している。
あるいはネットのない時期、飛行機のない時期はそれで存在し得た。しかし現代ではネットの普及により地域社会が意味を持たなくなりつつある。SNSで連絡していた方が話が通じると言われる世の中だ。
この中で地域にひとを定着させるものっていったいなんなのだろう?
学校がネットを敵視するのも当然である。学校は人々が地域に固着することを前提として存在している。だから自治体が運営している。自治体へのリターンがあると仮定している。フリーライダーが存在しないことが前提である。

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各地の廃校の続出によってこの仮定は成立しないことが明らかとなった。
山奥に、海岸線沿いに、膨大な道路を作ったのだ。コンクリートの立派な校舎も。それらはいま負債となり学校は物置として放置されている。
現在外国人に買い叩かれているニセコトマムのスキーリゾートはバブル時に借金で作られたものです。そういう意味で地方の交通インフラや立派な学校校舎と同じです。
交通インフラの充実と国民生活の均等化の発想が根本にあった。トマムリゾート建設直前まで、あの地域は『北の国から』そのままの生活、2〜3部屋の木造のあばら家にガラス窓に何層もビニール貼り付けて暮らしていたのである(※現代人の視点からはアフリカの民族生活と大して変わらないように見えてしまうでしょう。市場経済には最低限しかコミットしてないという意味でそれとまるで同じです。その辺で入手できる材料だけで生活している)。
この30年間のバブル期以降の価値観がもしかすると間違っているということだ。

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バブル期に変に豊かになり消費過剰の世の中となってしまった。市場経済についての認識を危めてしまった。「税金投入」でなんとかなると思ってしまった。
その日本的バブル期を経験せず「いきなりインターネットにスマホ」であばら家にSNSが到来してきた(自動車も一戸建もコンクリートの校舎もなくそれらへの資金投入もなかった)社会の方が、負債もなく成長が早いのは当然である。
彼らは外国人労働者として日本にやってくる。「負債」がないからだ。日本は「負債」に食い潰され人口の再生産も不可能である。
でかい家が必須と言われている時期に人口の再生産は不可能となった。でかい家や立派なインフラこそ実際は不必要なのである。
子供2名を再生産している『クッキングパパ』では、荒岩一味は2Kのアパートに住み(※『奥さまは18歳』でも部屋の面積は小さい)自動車を所有せず原付で会社まで通っていたのである。