ファーブル昆虫記を読みたい。昆虫教育に最高。うちの母ちゃんの素晴らしいスキルについて。

以下の文を読んでほしい。
私たちが熱狂した『ファーブル昆虫記』である。科学読み物としておもしろく、文学としておもしろい。小学校中学年から読める内容であり、大人になってもそのおもしろさが変わらない。つまり永遠に読める。しかもそこに出てくる昆虫を屋外で探したくなるものなのである(自分も「ハンミョウ」「アブラムシ」「カイガラムシ」等に熱中し驚いた。おもしろい!! 即座に空き瓶を集め、何か昆虫いないかな?と思って肥料をあさってカブトムシの幼虫を集める小学校時代の私であった。一部のカブトムシは成虫にまで達したが、羽化に失敗。羽にダメージを受けていた(小学校5年次の飼育体験))。
訳者 奥本大三郎 氏も小学生時代に読んだ。そしてダイレクトに影響を受けた。しかし小学生でも読める内容でありながら、氏には小学生でも感じた違和感があるというのである。
これがその後の翻訳作業に続いた。生涯をかけて翻訳に挑むのだ。
小学生時代の体験が人生を変える。
もちろん先人の業績を否定するものではない。先人の業績があったから現在の奥本氏があるのである。巨人の肩の上に立つ。そういう話である。

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完結にあたって
奥本大三郎
『昆虫記』の翻訳を思い立ったのは、いま考えてみると、小学六年生ごろのことになる。いや、そのころ感じたことは、翻訳を志すことに直結するというようなものではもちろんなかったが、先人の訳したものを読んでいて、「おや、この人は虫とはあまり縁のない人じゃないか。すくなくとも虫屋じゃないな」と思うことがときどきあったのである。
虫屋」というのは「虫好きのアマチュア」というほどの意味である。それは虫に関する知識の有る無しではなくて、それを描写する際のちょっとした言葉づかいに含まれるようなもの、一種感覚的なもので、身に付く人には小学校低学年であっても身に付く。宗教家なら、信仰心とでも呼びたくなるようなものである。これまでの『昆虫記』の訳には、あえて言えば、それが無いような気がしていた。
◯完訳版ファーブル昆虫記
http://fabre.shueisha.co.jp/

※少年時代、近所の友達の家に遊びに行ったら灯油の一斗缶でカブトムシの幼虫を飼ってた。驚いた。猛烈に羨ましく思ったものである。
※私たちの小学生時代には、夏休みの早朝に子供たち同士で集まり、カブトムシを取りにいくことが一番のレジャーであった(あとは川遊び)。私はカブトムシ取りは下手であった。なぜならスズメバチもいたからだ。これが翌年の飼育に至る原因であった。
※現代では理科教育の細目において「昆虫」の範囲が人気ないそうなのである。小学生において人気最低。日本の伝統のお蚕さまを生み出した昆虫研究分野なのにである(日本語の本が初めて仏文に翻訳されたのは蚕の本である。江戸時代末期)。そのジャンルが衰えてしまっている。
いきなり飼育というのも無理だろう。先ずは『ファーブル昆虫記』である。
※私の母は、直売所で昆虫が売れると知ったとき、昆虫飼育ケースを大量購入してスズムシの飼育を開始した。リンリンと鳴き、持っていくと売れるのである(1ケース500円)。競合する他者はない。独占である。競合しようと思っても当年の飼育に間に合わない。そのアイディアに感服した。素晴らしい。本気で素晴らしいです。
※江戸時代の蚕本について保存してたのになくしてしまった。悲しい。あれは日本文化の秘密を探る鍵なんだ。昆虫学・生物学で世界に先行していたフランスが、その求める文献のひとつとして江戸時代の養蚕の技術書を輸入した。
文化的に進んでいたからである。