映画。『The Iron Horse / アイアンホース』(1924 / John Ford)。開始15分で絶望的状況に。

サイレント映画『アイアンホース』。1924年の作品。今からほぼ100年前の映画です。

100年とひとくちに言いますがこれ歴史的な昔ですよ。江戸時代だって300年しかない。西暦だって2000年くらいだ。キリスト教が西欧に普及してからおよそ1000年(そんなものです。その1000年代に「世紀末がきたぞー」と大嘘こいて西欧を一気にキリスト教化することに成功した)。スケール的にはるか彼方の時代である(そんな初期の作品なのに既にもう「完成」しているのだから、文化というものはおそろしいものです)。

自動車が普及し映画が登場し庶民向けの印刷物ができてハードボイルドフィクション等が現れ現在の米国文化が一挙に花開いた「黄金の20年代」当時の映画であります。

丁寧に丁寧に撮ってある。美少年・美少女である。無声映画なので映像だけで観客に理解させる。だから少年少女でも仕草で、ポーズで、小道具で、きちんと動きを明示するのだ。言葉に依存しない。生い立ちや人間関係も心情や言いたいことも指先や目線や動きでこちらに確かに伝わるのだ。

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開始15分でこれですか。

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どうしましょう? 少年の武器は測距儀です。距離計です。父ちゃんの手伝いしながら手作りの距離計おもちゃで遊ぶ。女の子と遊ぶときも測距ごっこをするのです。飯作りが得意である。フライパンやポットで焚き火で飯を作る。しかしそのフライパンやポットもいまはない。

どうしたらいいんだ・・

※監督の手腕はなかなかのものです。監督はどういうことしてるかというと、シナリオをもとに全体の構成を想像し(イマジネーションし)、カメラの後ろに陣取っていちいち構図確認してテイクがオッケーか否か、演技できてるか否か、動作や表情にいちいち指示を出す。毎回見て全部確認しているのです。服もメイクも小道具も全部。現像してない状態で何から何まで視認する。監督の脳の中にしかテイクの有様は存在しない。

何人も集めて何十人ものスタッフで撮る。撮りなおしは効かない。撮れるのは一度しかないのです。その一回しかない機会にパーフェクトなものを撮る。撮れたかどうかは監督本人にしかわからない(※現在のようにデジタルでのノンリニア編集が一般化した環境では誰でもできます。しかし当時はそうではなかった)。

それをつないで構想にしたがって一本の作品にまとめるのだ。

超人にしかできない作業なのである。