鮮魚列車はなぜ走る?

違うのだ。

鮮魚列車の方が本質なのである。

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いまではなくなってしまいましたが。新京成線終点の松戸駅東口では農家のおばちゃんが毎日野菜を売っていた。駅のコンコースの上に敷物を敷き店を広げ(本当に店を広げ)運んできた野菜を売るのです。通うにはもちろん電車を使う。このような野菜の路上販売は常磐線北千住駅でも日常だった。野菜を都内向けに搬送するための手段のひとつとして機能していた。

首都圏の食糧は行商のおばちゃんが持ち込んでくる(きてくれる)ものだったのです。

都内向けの列車が馬鹿みたいに混雑する以前は、鉄道にはそういう機能も付与されていたのです。

売りにくる方も楽である。搬送は個人が可能な範疇にて行われる。

もしこれがトラック搬送となったらさらに人手を要しますし、搬送後のトラックを駐車する場所も必要となる。帰りは空荷となる。完全に無駄だ。駐車場と空荷を解決する手段がなくては、つまり搬送専用の業者がなくては売りに出すことは困難である。

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しかし列車輸送なら人間と荷物だけを効率よく搬送できるわけである。

段ボールに詰めて運べば帰りは空手である。都内も手ぶらでオーケーである。

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しかし首都圏居住圏の拡大と巨大な通勤需要が「列車=通勤目的」といういびつな成長をとげてしまった。現在では通勤目的でないとペイしない。本来はそうではないのである。

※逆に言えば現在の「通勤・通学がないと鉄道を維持できない」システムは危険である。通勤通学の減少、例えば人工減少に伴う都市圏の縮小等あったら一気に破綻するからだ。JR北海道JR四国は破綻の可能性が高いのだが、それと同様の事情が首都圏でも発生する可能性さえあるのである(例えばつくばエクスプレスは沿線に大規模宅地が開発されたことによって維持されている。これが年次変化を経て住民が高年齢化したならどうなるだろう)。

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現在の巨大な居住圏はコンピュータで管理されたトラック搬送によって維持されている。電算システムがなければ瞬時に破綻する。

GoogleAmazonクロネコヤマト のみがメインストリームではない。それ以外も含めてすべてである。