アラベスク『恋にメリーゴーランド / In for a Penny In for a Pound』。1982年音楽のカンブリア爆発について。

 なんというか最高の名曲。人生を変える名曲でありました。
高校3年生。受験勉強の最中に私はこの曲に出会った。
頭の中激変ですよ。もちろんひたすら格好いいので。一度聴いたら忘れられないタイプの曲です。こういう曲は当時の日本にはなかった。
時代は第二次オイルショックの直後。不景気です。ガソリンスタンドは日曜日やってない(やってるスタンドもありますがそういうのは半分。なんと仙台では1982年まで日曜日には電気店が閉じていた。一番町の繁華街行ってもお店が開いてないのです)。大学でもまだ学内闘争が引きずられ、鉄パイプが振り回され、友人の兄は関東がやばいので入学先を新潟大学に変更した。入試すら危険なのです。変な人たちが出てくる。試験会場でも極左暴力集団が大手を振って歩いている。
バブル以前の日本。個人がステレオを持てるかもてないかの日本。消費社会以前の日本。高校生大学生がバイクを乗ることすら考えられない日本。学生が夏休みに援農で田舎で農作業することが社会主義としてもてはやされていた日本です。
フォークソングが売れてた日本です。アイドルがバカにされてた日本です。マルクス主義の本がまだまだ読まれてた日本です。そんなときに。
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これですよ。
このインパクトですよ。
この「キャンディー・ポップ」ですよ(ユーロビート以前にこのように呼称してました)。
「新人類」の誕生ですよ。
※この新人類的価値観はその後普及し、現在では標準的日本人の感性となっている。そしてその後の変化はないのだ。みんな音楽を普通に聴くのである。大学はその前まで左翼が入学者を洗脳しようと学内を闊歩する尋常ならざる世界であった。それを音楽が押し流してしまったのだ。
このキャンディー・ポップの筆頭であるアラベスク
日本でしか受けなかった。ドイツ発なのにドイツでの人気は皆無です(アラベスクファンはそのことを全員知っていた。承知の上でファンであった)。他の西欧諸国も無視。アルバムは本国で早々に打ち切られてしまい、その後日本でどうして発売されていたのかわからない。もしかすると日本のために新作を発表していたのです。
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私はカセットテープで聴いていた。
大学に入って最初に貸しレコード屋で借りたのはもちろんアラベスクであったのだ。
私は幸運だった。
首都圏では NHK FM と FM TOKYO が併存していた。私は FM TOKYO のヘビーローテションでこの曲を知ったわけだ。民間放送があったから栃木でもエアチェックできた。関東以外の他の地域では、高音質の音楽放送=FM放送は、その時代にはなかったのです(唖然。つまりレコード屋に通う人々しかアラベスクを知らない可能性もあった。情報格差は現在とは比較にならない時代だ。これでは左翼は大手を振るうわけである。しかしその後1982年に全国的に民間FM局が許可されることでリスナーが急速に増大し膨大な音楽消費が生まれてくる。カンブリア爆発が起きるのだ。アラベスクはその嚆矢となったのである)。