トヨタデリボーイとかまじでほしいんですけど。現在はそのラインが存在してないのが惜しい。自動車ってなんのためにあるの?

ひとりごとです。
トヨタデリボーイほしかったんだよなあ。ヤフオクで探してこれと決めたものもあった(※2001年)。せり落ちて負けた。結果として買ったのがDODGEのキャンピングカーだったわけで。
ああいう、何かものを運搬する車がいいんですよ。何かというのは基本的に可変である。中身は入れ替えられる。フィクションの存在で言えばサンダーバード2号である。
ハイトは高く、中腰で立って歩ける。前席と貨物部はウォークスルーである。中にはバイクを積んでいいしキャンピング仕様にしてもいい。キャンピング仕様にした場合には余裕で何泊もできるわけだ。泊まり込みできる家になってしまうのである。
空気抵抗は多く速度は稼げない。コーナリングも優れちゃいない。私はそれらを欠点とはみない。しかし「速度」「コーナリング」中心主義者の視点にはデリボーイ的な存在は注目されないのは事実だ。メディア上には載らないのである。
結局現在の自動車ジャーナリズム(ドイツ車最高!とか吐かすあれ)これらがデリボーイ的な存在を駆逐した。彼らはいまでも庶民的判断から外れたスーパーカーを称揚している有様だ。
でも遊び車を提案したスズキハスラーが売れてるんだから居室の仕様によっては現代でもデリボーイの路線はありだ。使い方次第だ。自動車に求めるもの次第だ。
あの手の自動車が現在存在していないのは、トヨタがそういう路線を否定しているからなのである。
※当時は面白い車が多くありました。トヨタBBオープンデッキとか。現在でも秀でたパッケージと思う。しかし現在では存在していない。どれも類似した車ばかりで、ライフスタイルの提案なんてできてない。
※ 自 動 車 な ん て ち ん た ら 走 る し か な い の に 「 性 能 」 求 め て ど う す る ん だ と 思 う 。 ば か じ ゃ な い の ?
プリウスの成功から、現在の自動車は変な面を多用した燃費スペシャルみたいなものばかりになった。そういうの面白いのだろうか? なんのため自動車に乗るのか、製造者もわかってないのではないだろうか?
※デリボーイのデザインはアメ車クラスBキャンピングカー(バンコンバージョン)に負けてないと思う。一種異様な佇まいで、すぐさま目につき、しかし暴力性は感じさせない。懐の大きい太ったおっさんみたいなんだ。格好良さは追求していない。そこが素晴らしく「格好いい」。能力を別のベクトルに向けている。

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↓なんなのこれ? 買うひといるの? 庶民的判断から乖離している。ひとりよがりで訴求力ないと思う。
東京モーターショー 2017 トヨタブース フォトギャラリー
http://newsroom.toyota.co.jp/jp/tms2017/gallery/

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自分がモーターサイクルで「モンキー125は素晴らしい」と言うのも庶民的感覚から乖離してないからだ。モーターサイクルが威圧の道具(示威する道具)でないからだ。
「乗ってみない(運転してみない)?」と平気ですすめられ、なおかつ受け手が素直に頷けるものじゃないと、普及なんて無理だと思う。ヤマハの三輪スポーツバイクなんていかつくて薦められないと思う。
示威する道具をメインに置くモーターショーなんて恥ずかしくてやってられないと思う(コミケに負けるのは仕方がないと思う=昔はそうじゃなかったんだよ。昔は楽しい車が多く提案されていた。しかしいつの間にか可愛げのある感性はコミケ的なものに集約され、乗り物はそれ以外の世界を担うような、コミケ的な感性を否定するものの集まりとなった。恥ずかしい。ほんとばかじゃないの!?)。

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トヨタとか、あるいは現在の自動車メーカーって、自動車しか趣味や楽しみがない人々だ。彼らは自分たちがごく狭い世界に生きていることを知らない。愚かな。
彼らが否定している世界の中に財宝が埋まっている可能性も高いのに。
※なのでトヨタ一強になってしまった社会には発展性は無くなっちゃったと思っています。