海野十三訳の『透明人間』が素晴らしすぎて時の経つのを忘れる。

(この節、切実です)
これ、小学生のとき読みました! いろんな部分をまるまる憶えてる。下手すると一字一句憶えてる。当時は小学校5・6年生。学級に時ならぬH.G.ウエルズブームが起き、『宇宙戦争』『透明人間』『タイムマシン』等の回し読みが始まったのです。
学校の先生がクラス文庫の設置をすすめた。
教室の後ろの壁の物置の上に本棚が作られた。学級の有意のものたちが本を持ち込み回覧される。すごい勢いで読書量が上がっていくのです。
ウエルズは好きでしたね。江戸川乱歩はいいのもあればいまいちなのもある(非常に都会的なので田舎の人間にはぴんと来ない部分もありました)。私が持ち込んだのは『夕映え作戦』と『トリフィドの日』と『エーミールと探偵たち』。なんというかすごい本持ち込み大会が起きたみたいなんですよ。おもしろい本を持ち込めば話題が豊富になる。どういうのが面白いのかについては共通の了解がある。いまになって驚くのは、「面白い」という価値観は誰にとっても面白いという事実だ。例外はないのである。
それにしても本当に読んだ読んだ! ビデオもゲームもない時代です。子供は本を読むしかない。自宅でも本を読むんですけど休み時間にも競うように読むんですよ。
この読書文化が中学校に入った瞬間になくなったのには驚いた。
どうも本を読むというのは自分とこの小学校にしかなかった文化だったのです。

中学校に入って他の小学校出身者と会話がつながらなくて驚いた。部活の先輩も本を読まなくて驚いた。図書館いっても人がいなくて驚いた。
というより、図書館にある本が小学校のと同じ水準であったことにさらに驚いた。先進的な本はなかった。百科事典に図鑑に伝記。あとはせいぜい文学書くらい。前記の図鑑や伝記的なものなら小学校の図書館にあるものに目を通している。
その中で唯一特殊だったのが『つくるコンピュータ』というマイコン以前の自作コンピュータのハードウェア本だった。
よくこんなの入ってたなと思う。大喜びで借り出した。しかし後ろの読書カードみると借りた人間は自分しかいなかった。自分らは既に小学校の時点で中学生以上の読書力をつけていたのだ。
◎透明人間 ハーバート・ジョージ・ウエルズ 海野十三
http://www.aozora.gr.jp/cards/001430/files/50346_40111.html

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中学校に入ると廊下の壁に中間テストや模擬試験の上位100人が掲示されるんですが、上位10人の中の5人、上位20人の中の10人が佐川野小学校で占められてるのにも驚いた。田舎の辺境の小学校が上位である(全学年200人の中29人しかいない)。塾もなにもない時代である。勝手に本を読みすすめる文化が勝手に成績をあげていたのだ。
これは成績をあげるために役立った、という意味でないことに注意してほしい。成績のために読書するとか不善である。そういうカルチャーが存在してるか否かである。
みんな本を買うのに苦労していた。本屋は隣の街にしかない。私は時々父にねだって2ヶ月に1度ずつ夕方に本屋に連れていってもらっていた。そこでブルーバックスやSF本を買った。あの読書の楽しみは真に貴重なものだった。

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高校に入った瞬間、『夕映え作戦』『トリフィドの日』で話が合う人間ができたのにさらに驚いた。世の中どうなってるんだ!?とも思った。まったく不思議だ。実はそんなに読書してる人間なんてその後旧帝国大学系を除けばほとんどなかったのである(東京理科大学=最低の読書率である)。