映画『シンゴジラ』。まじで100点。驚いた。本当に面白い。お涙頂戴シーンまで本当に面白い。

最初の半分くらいまで見てたときには、これもう「世紀の駄作」「企画倒れ」「金の無駄遣い」そんな感じで思ってしまったのです。「提灯記事で盛り上げた典型」そういう判断さえもってしまっていたのです。
見事な作品でした。あの前半の駄作感も計算づくめのものだった。
よくある日本映画のよくある駄目さ、恥ずかしさ、情けなさ。それらを前面に押し出し、つまり、くだらない映画のひとつとされてしまう危険を冒し、その経路を経て日本的世界へと没入させる。クライマックス to クライマックス といういま流行りの導入形式ではなく、散漫な印象とよくある話題のコンビネーションであえてうだらせ、気分を萎えさせ、白けさせ、それでその後の本当のクライマックスへとつなげていく。
あの冒頭の演出はそこまでして日常感を醸成するためのものだった。ほんと最初は『プリンセス・トヨトミ』の再来かと感じるほどでした。そう思わざるを得ないほど怖気立つほど恥ずかしいシーンを延々と展開しながら、それらのシーンは伏線として(脱・恥ずかしいものという結果を生み出すまで)見事に回収されてしまうのです。
恥ずかしいものたちが恥ずかしいものではなくなってしまうのです。
主人公が頭を下げるシーンでは正直涙が出てしまった。
最高です。

                    • -

庵野秀明にとって最後の映画になっちゃうかも知れませんね。ここで才能が出尽くしちゃうとは思いませんが、いまあるもの全部投入しちゃった感があります。素晴らしい映画で、世界観含めて映画の中は完成していて、オチもよく、腑に落ちる映画だったんだけど、そのことはつまりその後の世代が創作する映画とは一定の距離感があるということだ。
庵野秀明氏より10歳年下の永井聡氏の監督した映画『帝一の國』。
これ、冒頭部しかまだ観てないんですが、笑いのセンスもカメラワークもフイルムのつなぎも全然違う作品でした。シンゴジラを観て直後に最高!って思って、しかし直ちに帝一の國を観ると、シンゴジラは明確に旧いのです。同時期の映画なのに明確に世代が違うのです。明らかに古くさいのです。
おまけに出演者の年齢も違う。シンゴジラは既に大物になってるスーパースターである。帝一の國では売り出し中の若輩である。シンゴジラはもしかすると手垢まみれである(※演出です)。
もちろんこれは、それぞれの映画の舞台が政治の場であるか高校生活の場であるかという違いである。シンゴジラに高校生を入れたらそれは余計でありエメリッヒになる。エメリッヒにしないが故のシンゴジラなんだ。
しかしどこか違うんだ。それは庵野秀明氏が日本映画を愛しているからこそ生まれた作品であるが故だろう。「日本映画の代表作を作る」という意気込みで彼は日本映画の様々なシーンを使用したのだ。だからこの手の作品ではシンゴジラが最後になる。おそらく次では異なる形式の映画を求めざるを得ないだろう。

                    • -

シンゴジラは日本人にしか理解できない純日本映画です。ここまでよくも日本映画のフォーマットで怪獣映画を撮りきった。本当に才能あるひとですよ。下手するとスペクタクルを求めてハリウッドのフォーマットになってしまう。そういう撮り方は現在の流行になっている。
その流れに依ることを良しとしないのだ。
徹底的にハリウッドフォーマットを取り除いて、日本映画の作りで、恥ずかしさも合わせて入れ込んで、しかし結論として腑に落ちる作品を生み出してしまう。自分の行為を縛りに縛って、制限をかけまくって、しかしその苦しみを乗り越えて作品を生み出す。ハリウッドワークを入れれば「簡単」なんですよ。しかし意図的にそれをしない。まさに超人です。賞賛の言葉しか出ません。素晴らしい。