おたく登場以前の世界『ディーゼル特急 キハ81』。1960年。冒頭から食堂車が登場。旅行に行くときは食堂車の利用が普通だった時代。

何度も書いてますが。
私は食堂車が「大好き」です。あれに乗らないと新幹線に乗った気がしない。せせこましい座席で駅弁を食べたくない。パソコン広げて作業する奴の隣では美味い酒が飲めない。
飯を食うとき、酒を飲むとき、食堂車は必要だ。心が豊かになり景色もよく眺められる。あれは最高のシステムです。
その昔。日本は現代とはまったく異なる国だった。
人々はより自由で闊達だった。この映像をみるとわかるのですが。列車を新造するときも顧客の視点に立っていた。列車を作ってもどのように利用されるのかが問題だった。映像の冒頭ではいきなり食堂車ですよ。顧客の顔が見える。顧客が主役に立っている。
まいりました。素晴らしい。
※現代でこういう映像作ったら「開発者の視点」「JR経営者の視点」「列車自体の性能紹介」そんなとこばっかで作られてしまいます。視点が180度逆向きだ。
それは「恥ずかしい」。いや本当に「恥ずかしい」。

そういう「恥ずかしい」感覚をなくしてしまったのがおたくだと思う。メカとかどうだっていいから!!
ディーゼル特急 キハ81
1465 supersensitive
視聴回数 90,489 回
2016/12/27 に公開
https://www.youtube.com/watch?v=1_AesYuB380

現代人が失ってしまった視点はこれでしょう。食堂車をつけるというようなあり方でしょう。
何が原因だったのだろう。どうしてなくしてしまったのだろう? 試験勉強のしすぎ(開発者が受験勉強のしすぎでばかになってしまった)? バブル崩壊(優雅さを否定することが健康的という阿呆な判断に陥った)? 電車おたく(性能至上主義という恥ずかしい有様)?
そういうのもあるかもしれませんが。
文化的継承がなされなかったところに最大の原因があるように思える。西欧では、必ずこういう視点(優雅さ)を大切にし、継続するのです。それこそが西欧だと気付いているのです。新聞のセンターフォールドでは必ずこういう優雅な旅を紹介するページがあるのです。
昔の日本人もそういう有り様を重視していた。優雅さを重視していた。江戸時代もそうだし、明治時代もそうだし、戦前もそうだし、戦後のつい最近までそうだった。ひとには心の余裕があり、遊ぶことを罪悪視するなんてことはなかった。
なにこの「現代」。遊ぶことをすぐに罪悪視する。ああ恥ずかしい。日本の歴史的文脈を消し去っている。過去の美点をなんでもかんでも消し去った。
現代人(※70歳代以下の人間です)。遊ぶ余裕や時間の余裕がないことを自慢してるこっぱずかしい有様だ。
本当に恥ずかしい。
そして彼らはその恥ずかしさに気づかない、あるいはそういう美点を継承しないことを愚かに思わない人間がいる。ほんとうに下らない人々だと思う。
※美食を否定する人々とは仲良くなれません。すみません。美味い飯(外食)に付き合わないひととは腹を割って話すことはないんですよ。
※文明が進んでなにすんの? 食堂車で美味い飯でしょう。宇宙空間にいって美味い飯制限されるってんなら宇宙飛行士になんてなりませんよ。当然です。恥ずかしい。心から恥ずかしい。
※私は、明治生まれの曾祖母から歌唱の重要さを、大正生まれの祖父から写真やステレオの楽しさを、どうやら植え付けられてるので、昭和生まれの節制ばかり乞うケツの若いやつら(※70歳代以下)とまともに話ができません。
↓これでしょう。やっぱり。こういう視点が大切でしょう。