常識的に考えたら機械式計算機はあり得ない。算盤は優れている。算盤が第二次大戦を可能にした事実について。ハンガリーについて。

機械式計算機を手作りすることはむずかしいですね。
ひと桁分の歯車を持ち上げるだけでどれほどのトルクが要るんだよ!!
そういうことになっちゃいます。
3Dプリンタで直にシミュレートするとさらにむずかしい。3Dプリンタで製造する歯車の大きさには小さいサイズには限界がある。そして可能なサイズから逆にみてみると、3Vモータで稼働できる範囲を優に越えてる。トルク的には15ボルト以上のモータの利用は必須。そういう世界です(遅くてもいいのなら3Vでもなんとかなりますが)。更に考えるとシステム稼働時に必ず生じる無限に近い回数の歯車の落下(一回の演算後の数値をリセットし次の入力に備えるため)やある程度以上の駆動周波数の高さに耐えられそうもない。要するに不可能であるということです。
いまから70年以上前。
日本は第二次大戦を行い得た。
なぜ戦争が実行できたのか? もちろん戦争を可能とするだけの膨大な計算が行い得たからだ。
日本には算盤という技術があった。だから戦争が必要とする要求事項について計算し算出することができたのである。
算盤は学校で教えるものではなかった。しかし旧来の計算技術として、算盤塾や商業関係での教授が普通におこなわれていた。その普及範囲は異様に広かった。算盤のコストも安かった。このため一般人が既に高度な計算技術を有していたのです。
これはアジア諸国では存在し得なかった技術である(一般人の高度な計算能力の所有)。
ここには当時欧州で盛んに使われていた機械式計算機の入る余地はなかった。
マニピュレートで、人力で、日本ではなんとかなっちゃったのである。
現在でも、日本人のように小銭を計算しておつりの出ないようにレジスタに渡すという能力は、他国の人々には存在しない。
このことはニュージーランドで確認しました。計算が得意であると言われるインド系の学生が担当するコンビニのレジスタでも、小銭の出ないように暗算して渡すと現場はパニックになってしまった。
この算盤ですが。
素晴らしいことにポータブルである。さらに外部動力を必要としない。人間の指先だけを用いてぱちぱちと弾いて入力が終わると結論が出る。
さらに凄いことに入力者を外部に置ける。入力者が「ご破算で願いましては」と宣言した段階で、
その後は入力者が音声で入力する数を読み上げるだけで、
読み上げの終わった瞬間に算盤では回答は出ているのである(しかも数人が同時に計算しており検算もできている。なにこの技術!? 太平洋戦争では、少なくとも初期の段階では、例えばマレー半島からシンガポールあたりでの対英国戦では、英国は日本の算盤技術に負けてしまったとみてよい。 英 国 人 らの計算能力を、 英 国 人 には認識できない日本の珠算塾等が教えている 日 本 人 一 般 の計算能力を統合したものが上回ってしまったということである)。
※※こういうことを書いてますが、算盤の復活により日本がよくなるとかそういう意味合いではないことに注意してくださいね! コンピュータが普及した現在の状況に算盤では太刀打ちできないのも事実である。またカシオ計算機は、当時の日米対抗戦で日本の算盤エキスパートと米国の一般人の使用する計算機が五分の能力であったことを見据えてオリジナルの電子計算機の製作に着手した(リレー計算機。動作が遅く稼働にトルクを要する機械的計算機ではないことに注意)。そしてカシオ計算機は成功したのである。

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歯車式のメカニカル計算機を作ることを考えたら、機械の指でぱちぱち弾くメカニカル算盤マニピュレータを作る方が、デモンストレーションモデルとしてはるかに有効だと思う。その方が要するトルクが小さくて済むでしょうし、修理も簡単、プログラミングを経ることも考えて汎用性も高いと思う。

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体育、音楽等の指導において特徴的な教授法を行い成果をあげているハンガリーですが(※毎日体育、毎日音楽)。
どうやら算数・数学においても類似の方法がおこなわれているようです。
算盤の活用。これ、日本でも有効に機能するんじゃないでしょうか?
※毎日体育、毎日音楽、毎日算盤を小学生時代に行うことで、学習者には自分自身の肉体を活用し、また自分自身を信頼するというヒューマンオリエンテドな認識が生まれる。「周囲に依頼する」というシステム依存的な発想は排除される。
もちろん私はイリイチ的な思想をもとに個体自身の存立を有意なものとしてそこから判断しているわけですが。
ハンガリーのそれには出立点は異なるとしても同一の結論を得ている気がする。彼らの発想はどこから出てくるのだろう?
○数学大国ハンガリーを支えているのは『そろばん』日本との意外な共通点とは?
masatake 2015-06-28
http://imatore.com/%E6%95%B0%E5%AD%A6%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%AC%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%92%E6%94%AF%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%82%8B%E3%81%9D%E3%82%8D%E3%81%B0%E3%82%93/

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「コンピュータの基礎」を教えるのに、機械式やあるいは他の「コンピュータのシミュレータ」は要らないわ。それより算盤の方がずっといい。算盤の方がコンピュータの仕組みの実際の教示にも適している。
※この項、超重要なり!!
※それにしても3Dプリンタの使用による個人の認識の拡大のあり様はすごいわ。機械を作ることに意識をとばすことにより、人類の文化の変化の様相をありありと間近にみることができる。まるで賢者の石、仏様(ほとけさま)の視点である。古代人が仏典に出会ったときのような衝撃を使用者にダイレクトに与えてくれるのだ。しかもそれが音声言語の範疇を超えて伝えられるのである。目が開かれる。そういうことである。

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追記。
算盤事情は現代日本に大きなことを教えてくれる。
ちょっと前の。パソコンが普及する以前の社会では、人々はたとえそれが文系であっても(あるいは文系であるならさらに)珠算や簿記の能力が求められていた。
「 文 系 に お い て こ そ 算 盤 は 必 須 」 だ っ た の で あ る 。
なので文科系と理科系とのコミュニケーションはうまくいった。計算をつき合わせればわかるのである。当時は海外から持ち込まれる戦略に無用に振り回されることもなかった。「ハーバードではこれを教えてるんですよ」といった広告を鵜呑みにすることもなかった。
英語よりも計算力が文系の現場でも大いにものを言ったからだ。
英語のヒアリングより算盤の珠を弾く方が重視される時代だったのである。
現在では珠算能力は軽視されている。カウントされなくなったといってもよい。
なので伝えられる海外事情を鵜呑みにし信奉する馬鹿が増えている。
本物かどうかを確かめるのは簡単だ。算盤を持たせ、あるいは紙の上で、実際に計算をさせてみればいいのである。
※まさに現代は日本人のアイデンティティの危機にある。克服する道はあるか? ハンガリーはなんとしてもそれを可能とするよう努力しているみたいだが。