映画 『加藤隼戦闘隊(1944年)』。これは必見! ガンダムの不殺主人公の起源もここにある。「新たに興す大アジア」。日本人の甘さとロマンチシズムについて。

先の戦争は何だったんですかね?
アメリカの歴史を知っていれば、これは危険な賭けであることがわかる。アングロサクソン北米大陸の旧住民を残らず虐殺して根絶やしにし、そこに移民し国家を樹立。豊かな富をまるまる略奪してしまった。欧州人は中南米では既存の帝国を片っ端から破壊し有り余る財宝を欧州本土に強奪、それにて資本主義を成立させた。まったくもってろくでもない連中である。下手すると国家も国民も富も、インディアンのように日本の手から失われるってことは矛を交える前からわかっていたわけです(実際に本土決戦が行われていたらそうなっていた可能性は高い。日本人は絶滅し、残った人々はリザベーションで生活。日本語も現在のように話されることはなかっただろう)。
映画をみて驚きました。本当に日本は、アジア諸国に対して解放軍として戦いを起こしたのですね。もちろん第二次大戦以前の世界です。白人が地球を支配し、アジアアフリカに国民国家はなかった。現地住民は資本を奪われ、低賃金と低い文化水準の中に放置されて永遠に浮かばれない日々を過ごしていた。日本はそれを開放するロマンのために戦いを起こしたのです(歪曲されて伝えられるところもありますが、事実です)。
映画 『加藤隼戦闘隊(1944年)』はセミドキュメンタリの戦争映画であるからとんでもない話になると思っていた。
全然。それどころかあまりの平和主義に呆れる。映画自体平和ボケの雰囲気ぷんぷんである。部隊長の加藤建夫は半ば不殺の主人公である。敵戦闘機の撃墜は不要。戦闘機部隊の目的は爆撃機部隊の護衛にあり、そのためには来襲機をはえたたきのように叩き潰すのではなく追い払うだけでいいと述べる。勝利の快感に酔うのではなく、失われた命のために嘆くのです。
異様に甘い。甘すぎる。現代の映画『アメリカンスナイパー』などでは主人公は何の疑問も抱かず敵兵士の殲滅に邁進する。ロシアの映画でも同様である。そこには戦争は異なる文化集団とのジェノサイド合戦であるという意識がある。しかし『加藤隼戦闘隊』では
「隊長の中には生も死もない」(部下の台詞)と
部下を悼む様子を示しながら語らせるのだ。もちろん敵サイドを邪悪に描くなど皆無である。
◎そして以下重要な追記
35mmフイルムカメラが小道具として出てくることに驚いた。これは事前に予想していた通りかあるいはそれ以上の頻度でした。
先の大戦まで、軍人はカメラや音楽などを愛する文化の担い手として機能していた。日本の古い社会にはそんなものなかったからです。
カレーライスや肉じゃがが軍隊食から日常へと定着していったように、カメラや音楽も軍隊から普及をはじめた。日本人に根強いカメラや音楽への愛好は、同時期に軍隊が担っていた。それをこの映画は示しているのだ(『加藤隼戦闘隊』のストーリーは大の大人がカメラ持ってきゃっきゃする話である。多分、英米人はこれをみて相等に驚くだろう。現在の日本人の感覚とあまり変わらないのだ。世界中どこへ行ってもカメラ持って誰彼かまわずきゃっきゃする。日本人は先の大戦からそうだったのである)。

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自分がいま当時の映画を見るのには理由があって、それは自分を育ててくれ、若くして死んだ祖父が、この映画が描く加藤部隊と同じく遠くビルマ戦線に出向いていたからだ。祖父はそこで通信兵(無線・暗号技術者)として従事していた。私はそこで祖父がどういう状況にあったのか知りたいのである。
私は自分のキャラクターのかなりの部分を祖父に負っている。保育園時に(現代でいうところの幼稚園時に)50歳前後で癌で早世してしまった祖父に。祖父はわが家の農業文化から私を隔離して育てていった。軍隊で学んだ都市部のイントネーションや、本や新聞の読み方、数の数え方等を教え込んだのだ。祖父の観念の中では軍隊や都市の文化こそ日本であり、私はそれに触れるべきというわけだ(※軍隊の文化=銃ではない。カメラやオーディオ、歌などである。余暇に供せられるそれである。それが人格を育み、人間同士のコミュニケーションを可能とする。そのような文化のない軍隊はどうであったか?『兵隊やくざ』みたいな暴力の巷となるのである)。私は保育園時代、小学校入学以前に漢字のほとんどを覚えてしまった。新聞をすらすらと読めた。大声で歌を歌う練習をさせられ、声のとおりを評価された。新聞、日本語、歌。物怖じせず人前に出向き堂々と意見を述べる。祖父の観点では社会生活はそちらに意味があると考えたのである。
そういった祖父のあり方を父は憎んだ。彼はそれらは一銭にもならないと判断した。父は戦中戦後世代であり、都市の住民が疎開して田舎の小学校が膨れ、1クラス60人、1学年何組にもなる中で、貧しき租界民たちのなかで農民として一定の生活を享受していた。崩壊する社会の中で農民はは強かったのである。父は私に泥まみれになっての肉体労働をさせ、耕運機や千歯扱きを扱わせた。歌などは歌わせず発音はさせず、本を読む文化を取り上げた。私は働く機械となった。自己主張しない泥まみれの機械。一歩下がってもの言わぬ奴隷。父の観点では社会生活は金稼ぎのみに意味があると考えたのである。
祖父が愛したステレオやカメラは、祖父の死後に家屋から一掃された。彼の人生を語るそれらの機械はなくなり、私の家は純粋な百姓文化となった。私が小学校に入る以前である。
その猛烈な断絶が子供時代の私を二分した。私は、親族としての祖父を失うだけでなく、文化としてのそれも失った。私は家族の中にいながら孤児となった。
私は、自分の中に複数のキャラクターがあり、それらが互いに相入れないものとして並存している。それはもちろん病的なものとしてあるのではない。祖父の文化であり父の文化なのだ。私は一時期百姓原理主義的な思考にとらわれ(※その原因には1970年代のオイルショックの影響もあると思う。社会が崩壊する姿を目の当たりにしたのだ)しばらく自分の中の祖父的な文化を意図的に否定していた。
しかしいまとなって分かるのだ。そちらがあったからこそ日本は飯が食えた。日本に富をもたらしたのは戦後の輸出産業であった(カメラ・オーディオ・自動車)。海外へと売れる物があったから日本は食いつなげた。江戸時代に開発されていた絹産業があったからこそ、シルクを海外に売りさばき、それを戦費に当て軍艦を購入して戦争に勝ちつづけていったように(元禄時代以降の華やかな消費文化が日本の独立を支えた。豪華絢爛な和服が存在しなかったら日本は他のアジア諸国と同様の敗北を喫していた)。
もし、軍隊が育む文化がなかったとしたら、どうなっていただろう? 映像も写真も音楽も存在しなかった可能性が高い。日本人は米を食うだけで終わっていただろう。他国に売れるものもなく貧しいままだったろう。文化は軍隊が育んだ。戦争技術のひとつとして意図的に育んだわけではなく、趣味的な遊びの中で定着していったのだ。軍隊とは大いなる趣味空間であり、大の男が一緒に飯を食い共に遊び語れる空間であった。そこで共有された認識が日本の技術志向を定め、戦後の商品開発まで牽引していった。
軍隊があったからこそ現在の日本があるのである。
※農民が農民文化を主張しても、それではただ絶えてしまうだけだろう。独立自尊の精神など育めないだろう。外界とのコミュニケーションもできないだろう。
※日本の農業を世界的にする・・ これはまず「無理」です。絶対に無理。よくわかったわ。農民や農協がそれを夢想したとしてもなし得ることはあり得ない。
※日本の戦後ではオートバイメーカーもカメラメーカーも雨後の筍のように存在した。それらの多数は絶えてしまった。猛烈な競争があったのだ。今後は農業界においてそれが起きるとみてよい。独立指向のビジネスは立ち上がるだろうが、それらの大多数は絶えていく。優秀な将に率いられる集団のみ生き延びる(本田宗一郎松下幸之助のように。ワコールの塚本幸一のように)。つまりこれまでの農業のように何をしていても生存できる状況はないと考える。農業を考えるには一般的状況ではなく、単純な戦略ではなく、それらを率いられる人間の存在こそ重要になると思われる。
※※「将(リーダー)」の不足は現代の日本社会そのものの問題である。現在の米国の電気産業が大成功を収めているのは「将(リーダー)」の存在によるところが大きい。それは人格として現出する。単純な基礎学力ではなく、戦略の分析でもなく、未来を予感し針路を明らかにし得るリーダーの存在のみが日本社会を浮上させるだろう(無理である。日本社会はそれを生み出す部分を削ってしまった)。