現代に蔓延る気持ち悪い極端主義。「アイドル」「しつけ」「無人島合宿」「○○食事療法」ルーツは全部同じ。

(この項おすすめです)
私は上記のものたちが嫌いです(というより評価しない)。
これらはニュースになります。特殊であるからです。日常と離れ、話題を形成する。「○○すげえ!」「○○効果あった!」と語れば、他者の関心をひくからです。
しかし話題のインパクトは内容自体の正誤とは関係ない。話題はあくまで話題であり、内容の真偽は別途考慮する必要がある。
私は日常生活で処理できない内容には意味がないと思ってるんですよ。
アイドルが非日常であるなら、それは意味がない。食事療法が珍しいものであるなら、生活で取り入れる価値はない。無人島合宿でのスマホ断ちがイベント形式であるなら、その効果は限定される。
もちろんそれぞれ面白いものであると思います(そして関連する商業生産は捗ると思います)。
しかし効果はない。面白かったで終わりだ。
※これらを批判し日常生活を重視するあり方が若者の「断捨離」「自給生活」であるのでしょう。自給生活はよく商業主義から反論されますが、自分は自給生活のもたらす意味がよくわかる。自分は正直自給生活側である。
ニーチェは現代文明における極端主義の嘘の側面を見抜いていた。
極端主義は救済を主張するが、嘘なのだ。しつけも合宿も意味がない(この場合のしつけとは、戸塚ヨットスクール等で「ヨットの技術を学ぶ」のではなく「更生を期待する」などです)。他者依存を増すだけである。人間に重要なのは自律である。生活をハンドリングできる範疇に収めることである。神的な力を持ち周囲をエンロールする宗教・広報・政治・学問等に対して個人が抗う術を用いるべきである。

※年1回の無人島合宿ではなく、アウトドア(屋外活動)は毎週(あるいは毎月)やるべきです。生活の一部にすべきです。北海道教育委員会の指示するように。

※もちろん「祭り」の意味でなら理解します。楽しいお祭りとしての無人島合宿ですね。戸塚ヨットスクールもヨットを楽しむ祭りであるならいいでしょう。そして「肉体的効果」「精神的効果」も変わらないでしょう。
なぜそこで恐怖で縛る等が出てくるのか。
わからない。それは支配する側のエゴでしかない。支配者はそういう我欲を持っており、自分以下と評する弱者にそれを振り向け、喜びに浸るのだ。
今回の北海道の大和くん行方不明事件では、父親は「父親の威厳を・・」などと口にしていた。
つまり自分の楽しみのひとつとして子供ひとりを血祭りにあげたのである。

※そういう意味で極端主義はエクスキューズになるのだろうか?
10年ほど前の日本では、慣れない人間にシーカヤックで島渡りをやらせて遭難する等の事件があった。
カヤックは自転車より効率が悪い。完全な初心者よりちょっとは漕げると思える自分でも、連続して数百メートルほど漕ぐだけで「疲れて嫌になる」のです(2kmほど漕ぐとしたら、仲間どうしでわいわい言いながら言ったり散歩する感じでないとやる気すら起きない)。
海上でのカヤックを日常としていない人々がいきなり数キロの島渡り・・
これは実は戸塚ヨットスクール以上の試練です。戸塚ヨットスクールでは運動音痴で言うことも聞かない生徒がやるから問題となっていたのでしょうが、こちらに彼らを連れてきていたらひょっとしたらもっとえらいことになってた。
なんというか・・徐々に距離を伸ばす等できないのでしょうか?
子供を自転車に乗らせるとき、数メートルずつ進めますよね? 自動車の運転では教習所に通って習いますよね(自動車教習所は日本の誇るべき素晴らしいシステムです。最も最近は自動車のメカニズムがブラックボックス化し、若者は点火プラグのねじの締め方すらわからない。ばかみたいにトルクかけてもの物故わすひとも増えちゃってるのですが)。
マンツーマンでそれらを教えますよね?
それでいいのではないでしょうか。
学校教育はマンツーマンを否定しています(効率重視なのでしょう)。しかし自転車・自動車・自動二輪車等はマンツーマンでなくては指導できない。ヨット・カヤックも多分そうだ。
これらにおいては極端主義は存在しない。子供に「時速200kmを目指せ」「明日は200km漕ぐぞ」などと言っても無理である(無理というのが理解される)。
それはマンツーマン指導があるからであり、個体間でのコミュニケーションが機能する範囲だからである。
そうか。
みんなでバイクに乗ればいいんだ。そういう時代が来ればいいんだ。

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実は今日はおそろしく深いこと書いてますよ。消費、コミュニケーション、自給生活問題、世代間断絶、それらは「バイクでつるむ」文化が(もちろんあるいは同様の文化が)存在すれば解決してしまうかも知れないのだ。
これはクラブ活動なのだろうか? わからない。定義のしようがない。
自分においては自転車、バイク、自動車、サイドカー、キャンピングカーの与えてくれたものはある意味無限だ。それらには感謝しかない。それらなくして学生時代に東京に電車で通ってたと考えるならぞっとする。エネルギーは行き場をなくし、アイドルおたくになっていたかもしれない。
アイドルおたくになる人々は運が悪かったのだ。
彼らももし25年前の環境で生活できるならこんな問題は生じなかったのだ。
アイドルを評価してる現代の妙な若者も、25年前なら「ヤマハにはやっぱりダイシンアルミ管!」などと語って平穏無事に過ごし、有り余るエネルギーをメインジェット交換に費やし、時折北海道にまで行っちゃったりして田舎に金を落としていたかもしれない。
アイドルにお金かけるなんて本当理解できない。乗り物に金をかけましょうね!

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現代の、20代以下の若者がアイドルに入れあげている状況をおかしいとは思わないあり方のそれは正直わからない。
宮台真司あたりがその辺のルーツなのだと思いますが。
彼は、バイクで夜中走る人々を否定し、若い女性の売春を肯定して一躍寵児となった(当時の親世代には当時増えていた若い女性の売春を肯定し納得させる言説がもとめられていた。彼は、東大卒の肩書きをもってそれを提供し、安心させることに成功した)。
その辺りからモーニング娘。とかのアイドルのマスプロダクト化が進行していった。
深夜アニメが増え、それに代替されて深夜のラリーやボクシングやスポーツの番組は消えていった。映像界はアニメとアイドルとお笑いで充満するようになっていった。
正直腐敗していますね。
アニメ、アイドル、お笑い、全部フェイクだ。くそでしょう。