マインド・セットの問題。奪われたものをどう取り返すのか。

1年前までこの状況にあること、想像することは正直不可能でした。福島第一とあまり関係のない私でさえ結構な混乱にあるのですから、震災および原子炉災害ですべてを奪われた人々が心機一転して何かに取り組むのは、かなりの苦痛を伴うことでしょう。
結局は心を入れ替えてしまった方が最終的に望ましいことは事実なのですが。

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※今回の文章には怒りが含まれてるので注意して下さいね!
※もっともどこかで怒りを吐き出さないと収まらない。私は内側に貯めすぎる。
※いつも綺麗なものを見て考えを入れ替えてきましたが、今回はそうではない。理不尽さが背後にあるため、この問題を明示しておきたいのだ。

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私は1年前農業に従事していました。まあ初年度のチャレンジですが。その直前に農業国のニュージーランドを訪問していたこともあり、彼らのやり方に大いに刺激を受けて、また農業の未来にもある程度の展望を抱いて、それに取り組み始めたのです。
深い理由には郷土愛がありました。
家族、はこの際あまり関係がない。私は栃木県南の地理的状況をこよなく愛していたのです。
付近には渡良瀬遊水地がありました。自宅から周遊すると20km。自転車で出発すれば自動車とはほぼ無縁の道を走行できる。ここからは各地に国土交通省自転車道が整備されており、東京から群馬、千葉まで河川沿いに自在に走行できたのです。
河川沿いといえばカヌーもありました。これも楽しかった。キャンピングカーには特注のキャリアまで備えたのです。本年5月までカヌースクールのお手伝いもしていましたね。
実は栃木県、日本のスカイスポーツのメッカでもあるのです。気球の国内大会5大会のうちの2つは栃木県で開催されます。ほかにもパラグライダーやモーターグライダー。販売店や修理工場もそろってる。
私はこれらの「文化」をレポートして「北関東文化圏」の存在を主張する筈だった。
いまでは東京文化圏から失われてしまった「男の子の遊び」の本拠地として、世界にも自慢できるフィールドとして、この北関東の素晴らしさを伝えたかったのです。
博物館の整備もされていた。ツインリンクもてぎには本田の自動車博物館、益子にはペンタックスカメラ博物館。どちらも日本の独自性を強く主張できるものでした。付近にはつくばサーキットもあってモータースポーツは北関東人には遠いものではなかった。2年前まで毎年5月は古河モーターサイクル主催のエンデューロにオフィシャル参加していた。自転車も、カヌーも、バイクも、私の身体の一部だった。私は生粋の北関東人だったのです。
なんかねー、もうみんななくなっちゃいましたがwwww
まさか家族がそれらを奪いに来るとは思わなかったんだよね。奪いにきた人々は東京に向かい、そして何かをなくしてしまったと感じている人々だ。私はひたすら農業での生産性を考えていた(※理由は2つある。私のしているプロデュース業は仕事の有無の影響が大きく、農業との並行が可能であること。もうひとつは、農業がダメと言われていた当時こそ、一打逆転のチャンスがあると考えていたことだ)。いやー本当に儲からなかったんだよ。驚いた。はじめて半年で「このままでは死ぬ」と本気で思った。その内訳をここに書いてしまおう。
言っておきますけど当時の我が家の収益は付近の他の農家を凌駕していたのですからね(他の農家を見て恐怖に震えた。これはあとで書きます)。
年収850万円。これは悪くない。どころか優れた値だ。
しかし内訳としては議員年金が350万円なのだ。
残り500万円。コメが200万円。野菜の出荷が300万円である。
このうちの100万円が4月に集中する。タケノコが採れるのだ。これとウドがうちの特産で(これらは管理が大変なので、他家ではなかなか取り組めない)一気に稼いでしまう。
残り200万円を1年間かけて稼ぐ・・のだが。
手間と収益の釣り合わなさに驚愕の日々だった。大の大人が早朝から日暮れまで働いて日々の販売はMAX6000円(2人で)。父は入院しており母との共同なのだが、全額家に入れなくてはならない。
ネット代も携帯代もガソリン代もウェアも持ち出しなのだ!!このままでは死ぬ!!
2010年には生産者米価の減額が始まっていた。宮城県ではコシヒカリ作っても2年前12800円だった買い取り価格が8700円あまりにまで下がっていた(※なお消費者米価は変化していない。農民だけ苦渋を舐めさせられている。中間搾取がどれだけ非道いかということだ)。
言っておきますけどこの中から機械代も燃料代も肥料代も捻出するんですからね?だから農家はみな絶えますよ。これでは。
家の中では父親が「麦が儲からない。1.5ha作付けして6.8t取れて売上20万円だとぼやいている。これに要した肥料代が28万円なのだ(麦は肥料を消費する作物である。だからドイツで化学肥料の開発がはじまった)。このマイナスの8万円は補助金で補填される・・のだが、どの程度の補助金が出るのかって、雀の涙ですよ。40万円残るのか?1.5haを半年作付けして。
ちなみに昨年は売価はそれ以上だったらしい。農協が任意に変えられるのだ。農協は絶対に損をしない。農民から自在に引き出せるのである。「品質がこうだったからね」と言われれば農民は素直に従うのである(異議を唱えに行った自分は例外だったらしい)。
さてこの状態で、父親が危篤だったので死亡すると考えると、年金はなくなりコメは当てに出来なく、かつマンパワーが不足する状況では野菜の生産も危機と考えられる(消費者の購買力の問題もある。たとえば大根。どれだけ豊作でも直売所で販売するのでは1軒の出荷で20本が限度。それを超えたものは1本も売れない)。日々泥のように働いて年収200万円が限度だろう。
つまり悲劇的な未来しか描けないのだ! そして悲劇的な生を描く例は近所に充ち満ちているのだ。絶えていく家が多いのである。そんな馬鹿な? まともな例はないのか? あるのである。付近のトマト農家、隣県のキュウリ農家ではまともな例が見られるのだ。トマト農家では年収数千万円の家もあるのである(たとえば田村さんの家では、パートさん11人、彼らに払う賃金だけで1500万円)。
この桁違いの収益の違いは何に理由する? 生産活動の合理化にある。そちらの家では「だれでもできる技術」の活用により「多くの人々が生産活動に従事」し、整理された販売ルートを確保している(名産トマトとしての評価も得ている)。農家は手を使う作業である。機械の力と他人の力を活用できない限り未来はありえないのだ。地面にはいつくばってちまちまと芽を摘んでいるのでは終わりだ。そういうことをしてはいけないのである。
さてそういうことで。
私は自費で小屋を2棟建てた。将来のインタナショナルワーカーの為である。自費でキャベツ移植機を購入した。生産活動の単純化のためである(キャベツには素晴らしい魅力がある。消費は安定しており、経年栽培が可能で、コメの裏作にもなり、連作にも耐えられる。しかもマンパワーの消費が少ないのだ)。販路も確保した。収穫作業のための人員も確保した。素晴らしいですね! 自分の作業の手早さにも驚愕してしまいましたw ちなみに作業がうまくいけばキャベツだけで年収500万円は可能でした(250万円*2回転。1.5haで)。これには野菜畑やタケノコ、コメ等のフィールドは含んでいないので(麦のフィールドのみを勘案)、相当の収益が確保できると考えられたのです。
泥棒がやってきましたw
妹です。東京に嫁いだのですが、嫁ぎ先の父親が死亡=>年金喪失、自信の働き先は倒産=>収入喪失、残るは夫の稼ぎだけなので、収入はおよそ3分の1になったと考えられます。つまり死ぬ直前にあった。彼女は、愚かにも自分の生活が常に危機に脅かされた不安定なものであると認識していなかったのです。
ええ。彼女は家族を籠絡して私からすべてを取っていきましたね。なにするんでしょうかね? 泥にまみれる作業もしたことがない。なのに家族共々私の機械化農法を否定するw 昔の(バブルでシイタケが高値で売れた頃の)華やかな生活が再び手にはいると思っている。彼らに収益構造の異常さを説明しても理解できない。「○○さんちは頑張ってる」彼らが頑張っていると指摘する家たちは、みな借金漬けであり、実のところ離散寸前にあるのです。
福島第一の爆発はこれらをみな流し去って行きました。栃木の農地にもセシウムが、そして恐らくはプルトニウムも、精密な測定を要する位には降り積もっているのです。

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さて。何が書きたいのかというと。
ここで私のマインド・セットをかつての社会学のフィールドに切り替えるには相当の苦労を要するということです(かつての、ということは、それ以降の視点もあったと言うこと。「北関東文化圏」もそうでしたが・・)。何というか。来てみて見方が全然違うのにかえって自分でも驚いたんだよね。日本をフィールドとして、日本最高!って思ってて、仕事を終えてレジャーの一環として訪れたニュージーランドと、今回のように避難して訪れたニュージーランド。後者の自分、得意とするものを手にしてはいないのだ(あの素晴らしき北関東の背景がないのだ)。正直気分は萎えているのです。多分自転車やカヌーを持ち込んでも直らないんじゃないかな? だってそれらを持ち込んでも北関東を走れるわけではない。スポーツ盛んだって言っても北関東ほどじゃないですw 知ってます?「もて耐」。アマチュアライダーたちが自前のレーサーでツインリンクもてぎを走るんですよ? ニュージーじゃあり得ないしw なんなんだろう? 日本て文化的に優れてましたよね。ニュージーランドでは自前の携帯開発もゲーム開発もOS開発もありません。プログラミング言語の開発もありません。まあそれらがしたかったらそれらの場所に行けって話だけど。何かがしたいからそこに向かう・・というのじゃなくて、郷土愛はそういうものじゃなくて、つまり優れてる所を伸ばすことだと思うんだ。うーん。なぜ日本は放射能に汚染されてしまったのだろう。放射能汚染がなければこれほど素晴らしい国はなかったって今更ながらに思うんだよ。

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こういうのも全部昔話。いつかは過ぎ去ることです。
どうなんだろう?ニュージーランドで「安心な食べ物」を口にするまで、自分はどうにもこれらのことを心の中で押しつぶしてきていた。日本では極端な抑圧下にあった。日本を回想する、というより、抑圧が取られた、と考えた方がいい。この場で思うのは、私でさえそうなのだから、震災や原子炉災害であらゆるものを奪われた人々が、立ち上がり心を入れ替えるのは余程の苦労をするということだけだ。悲しみが大きすぎると、事態の変化が極端すぎると、切り替えられなくなる。喪に服せるだけの時間が必要だ。それだけの時間を放射能が許容してくれるかどうかは分からないけど。