新型ジムニー/新型ジムニーシエラ プロモーションビデオ suzukicojp。20年後の社会において。

新型ジムニー/新型ジムニーシエラ プロモーションビデオ
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https://www.youtube.com/watch?v=oG_tMMhtBGc

※過去にジムニージムニー1300とも所有していたことがあります。両者とも素晴らしい車でした(2型です)。自分的には排気量の大きな方が使い易かった。一般道を走ってるときには「なにこれ?」というくらいおそろしく怠いエンジンなのですが、ダートに入った瞬間評価一転。でっかい水たまりもなんのその。10cmくらいえぐれていても舗装路と大して変わらない速度で走れてしまう。男性2名と後席に女性子供3名を積載してです。
そんな自動車に標識自動認識機能(サポカー機能)。一般道での安全性の確保。
こういうのの両立はほんと大変だったと思いますよ! なんというか、お疲れさまご苦労さまです。

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最初見たとき樹脂感むき出しのバンパーといい角型すぎるボディといいどうなの?って思った。しかしこの動画見て本当納得。ありがとうございます。
ジムニー乗って最初に驚くのはフロントガラスの近さだ。ほんと目の前にあるんだ。
ひざ下をダッシュボード下に潜り込ませるように座る。
自動車じゃ当たり前のように思えますがポジションは立っているのです(このポジションの立ちにも驚いた。乗りようによっては足が疲れると思う(心臓への距離が遠い)。
最新型ではフロントガラスを立てることで圧迫感を減らしたという。
後席周りもそうだという。これは実に優れている。
「こんな狭い車」のように見えてしまいますが、降りて片手でバックドアを開き車内にアクセスするとかなりの道具が積めることがわかる。私は自転車を常時積載していた。
毎回降ろして展開する。そういうのできちゃうのだ。
「2名まで」と割切ることでユーティリティは確保できてしまう。

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で。
こないだ書いた「ミラトコットいいなあ」に続いてしまうわけです。
メッキパーツが少なく(ジムニーに至ってはバンパー樹脂そのままのカラーリング)コーダトロンカ的な形状をしていない。車体が前傾してない。昔の自動車の雰囲気だ。
ヘッドライトがぐにゃぐにゃしてない。「デザインのためのデザイン」ではない。
なんというか素晴らしいですよね!
ジムニーとか、かつてはヘッドライト自分で替えられたんですよ。ライト暗いので取り外して見てみたらあのサイズの巨大白熱電球だった。ヘッドライトがそのままランプだった。
それと同サイズのハロゲンヘッドライトユニット買ってきてそのまま交換する。そんなことができちゃうのです。
かばん2つを助手席シートに置き、フロアに足をかけて乗り込む。飲物も助手席シートに置く。
あとはそのまま100km先の取材先まで平気で走れてしまう。
家の脇から出て狭い道を通り抜け一般国道を通りその先の奥の奥まで。
日本がかつてひとつに繋がってたのは自動車の力があったからだ。
そう感じさせる。東京から出ない若い人たちは「自動車で遠路はるばる・・」という行為を全く取りはしないのだ。
携帯電話がなく自動車がある、そういう時代では肉体そのものを移動させ何としても現地に向かう必要があった。
いまは電話で済み軽い挨拶で済んでしまう。動画もメールで送れてしまう。
じゃあ何で自動車を所有し運転するのかって話だ。ところがこれがないとやはり現地に向かわないのである。

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「映像」を事業としなくなった瞬間私は自動車を手放した。
あるいは逆かもしれない。自動車を手放したからそれが理由となって映像的なコンテンツ制作に対して強い興味を失った。
自分がここでデザイン云々言ってるのも自動車に興味を持っていないことが理由だ。乗ってみると実はデザインなんて大してどうだっていいのである(乗り心地や広さの方が重要)。
それを話のネタにするのはおそらくこれが「最後のジムニー」であるからだ。
モデルサイクルは20年。次のタイプのジムニーを私は所有することはない。それどころか20年後は自動車を必要とする社会であるのかどうかもわからない。
日本がどうであるのか、エネルギー事情がどうであるのか、人間に満遍なく食糧が届けられているかどうかもわからないのである。

前項続き。日本は従来の社会構造の維持は不可能である。だから外国人労働者受入を行っており、その破綻停止には認識を根本から改める必要がある。

30年前の日本。山奥には「冬季孤立村」が存在していた。
福島県の奥地にある村などは大雪になったら平気で3週間以上道路交通手段を失ってしまう。
もちろん大丈夫である。そういう暮らしを前提としているのだ。食糧は半年分程度保存できてる。おやつは干し柿も乾燥芋もかきもちもある。全部自家製でできるのだ。たんぱく質は乾物である。燃料は薪である。これで家の中で暮らすには問題はない。
問題は社会と交換できる何かを生産できるわけじゃないってことだ。市場経済が営めない。
ものを買えない、対価を払えない。これでは現代の若者は暮らせない。ガソリン使って隣村に向かうこともできない。スマホも使用できない。
家の周囲には果実が熟し、野菜も米もおそらく食べ放題でありながら、しかしそれらを採取できる時期は明確に限られ(※これは農家を始めて最初に感じた驚くべきことです。非農家だった自分からは衝撃です。おそらく非農家は永遠にその衝撃を知り得ることはない。家族でも絶対に伝わらないのだ。同じ農家で育った兄弟でも伝わらない。自腹を切った人間にしか伝わらないのである。
金を得ようとして働いてもそれは「9ヶ月先」になる。換金作物ができないのだ。土地を耕し肥料を入れ種を播き管理する。肥料も種も現代では市場から購入である。最初に借金から始まるのだ。しかも9ヶ月先の市場の予測は立たないのである)じゃあ冬には何をするんだ?てことになる。
北海道のじゃがいも農家とかほんとどうしてるんだろう? 年間4ヶ月は土地は雪に閉ざされる。機械の整備以外に農家はすることもない。
それでも土地を離れない。土地や家の整備があるからだ。子供たちは土地の学校に行く。地域社会はそれで存在している。
あるいはネットのない時期、飛行機のない時期はそれで存在し得た。しかし現代ではネットの普及により地域社会が意味を持たなくなりつつある。SNSで連絡していた方が話が通じると言われる世の中だ。
この中で地域にひとを定着させるものっていったいなんなのだろう?
学校がネットを敵視するのも当然である。学校は人々が地域に固着することを前提として存在している。だから自治体が運営している。自治体へのリターンがあると仮定している。フリーライダーが存在しないことが前提である。

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各地の廃校の続出によってこの仮定は成立しないことが明らかとなった。
山奥に、海岸線沿いに、膨大な道路を作ったのだ。コンクリートの立派な校舎も。それらはいま負債となり学校は物置として放置されている。
現在外国人に買い叩かれているニセコトマムのスキーリゾートはバブル時に借金で作られたものです。そういう意味で地方の交通インフラや立派な学校校舎と同じです。
交通インフラの充実と国民生活の均等化の発想が根本にあった。トマムリゾート建設直前まで、あの地域は『北の国から』そのままの生活、2〜3部屋の木造のあばら家にガラス窓に何層もビニール貼り付けて暮らしていたのである(※現代人の視点からはアフリカの民族生活と大して変わらないように見えてしまうでしょう。市場経済には最低限しかコミットしてないという意味でそれとまるで同じです。その辺で入手できる材料だけで生活している)。
この30年間のバブル期以降の価値観がもしかすると間違っているということだ。

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バブル期に変に豊かになり消費過剰の世の中となってしまった。市場経済についての認識を危めてしまった。「税金投入」でなんとかなると思ってしまった。
その日本的バブル期を経験せず「いきなりインターネットにスマホ」であばら家にSNSが到来してきた(自動車も一戸建もコンクリートの校舎もなくそれらへの資金投入もなかった)社会の方が、負債もなく成長が早いのは当然である。
彼らは外国人労働者として日本にやってくる。「負債」がないからだ。日本は「負債」に食い潰され人口の再生産も不可能である。
でかい家が必須と言われている時期に人口の再生産は不可能となった。でかい家や立派なインフラこそ実際は不必要なのである。
子供2名を再生産している『クッキングパパ』では、荒岩一味は2Kのアパートに住み(※『奥さまは18歳』でも部屋の面積は小さい)自動車を所有せず原付で会社まで通っていたのである。

「意味ないことを喋ってるときの僕が一番好きだわ」って言ったね。

大瀧詠一『EACH TIME』。1984年。B面最初の「1969年のドラッグレース」。
バブル以前の時代の曲である。

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なんというか、自分、ほんとこの通りって思うんですよ。喋る内容は意味ないことで正解だって思ってる。意味ないことで喋りたい。
だから返しも意味ないことでするわけだ。
現代社会のくそまじめポーズにはほんと腹立つ。
それらはポーズでしかない。良識も、性差も、差別被差別も、皆偽善だ(9割は偽善だ)。実は冗談ばかりの「意味ないこと」と大して変わらない。普通の会話と変わらない。しかしくそまじめポーズ者は胸を張って偽善のくそまじめ台詞を語り続ける。
そのおかしさに気づいてない。病気だ。

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くそまじめポーズをポーズであると看破すること。これは実は先ほど提示した生産行動に関与する等の行為によって可能となる。言葉が意味を持たない世界があるのだ。
正確には生産行動に関与しない人間の言葉は通じない。生産行動に関与してるかしてないかで厳然とした壁がある(※壁を取り払おうという行為には意味があると思っています。しかし事前に所有してる観念に共通するものがないのだから使用してる単語がそもそも別であると気付いた方がいい。単語の交換だけで理解が進むことはありませんし、会話のみで結論に至ることはほぼない。天災を経験してるかしてないかで大きな違いがあるのと同じです。経験しないものにはわからない)。
じゃあどうやって壁を越えるか? 私は「冗談」でしか越えられないと思っている(これは禅坊主でも同じに答えるでしょう。宗教関係者は自分の非専門である対象にまで言葉を伝えなくてはならないとしたらそれは大変だと思うし結果を得るとしたらさらに困難であるだろう。何故過去においてそれが成功したか(参禅等で結論を得る行為に至ったか)? 実にそれで結論に至らなかったらその行為は放棄されているわけだ。それが可能であったのは、経験の重みが言葉より上ととらえられており、それこそ仏教的認識であったからである)。

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意味のない単語の交換で意図を伝える。
夏目漱石が英語を馬鹿にしてると言う人がいますが「月が綺麗ですね」への翻訳だけでもう成果は十分であると考える。

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この認識を変えたのはニュージーランドでの自転車旅行である。私はBBHという日本のユースホステルライダーハウスに似た相部屋自炊形式の宿を使って旅行していたのだが、これは欧米の一種の出会い系である。
男性も女性もBBHを使って旅行して例えば結婚相手をみつけるのだ。
晩方に飯を食い酒飲んで寝てると屋外のテーブルで男女が会話してる。
話を聞いてぶったまげた「愛してるんだ。この前会話して確信したんだ。君を応援したい。君の助けになりたいんだ」臆面もなくしゃあしゃあと喋る。そして翌日カップリングできてるのである(セックス云々ではなく普通に夫婦みたいに行動している)。
カップリングしたらカップリングしたことを隠してはいけない。それは堂々と開示し内容証明をしなくてはいけないのだ。
日本みたいに隠れて付き合うということは、ないのである(全てがそうであるわけじゃないのですが、少なくともテレビタレント等の業界では日本では隠れて付き合うということが常態化しており、それが若者のロールモデルになっている)。

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本当に日本ではそういう社会だったのだろうか?
どうも1970年代の様子をみると、違うのである。
隠れて付き合うのは、当時は「不倫」という認識なのである。交際は明示するものなのだ。
現代人は南米形式のべったべたなあり方を南米形式と思っているが、1970年代の日本のドラマをみると南米なみにべったべたであり、そしてそれはどうやらドラマだけではなかったみたいなのだ。

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「じゃあなんで、どこから隠蔽文化みたいなのが生じてきたんだ」もちろん学校教育の影響である。
かつて女学校で「中途で嫁入りせず最後まで女学校に残っているものはぶすか気立ての良くない変人」という認識があったらしいのですが、実にこれはこれで正しいと私は考えている。
くそまじめ・生真面目文化はそれを否定する。否定し学歴を得る方が「生産性が高い」などと宣う(なんの生産性なんだろう?)。
そういうくそまじめ派が社会の主流になりおかしくなってしまった。

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言いたくないけど現在の日本、気持ち悪いほど「不倫」文化が充満してる。
隠れて変なことばかりしてる。おかしな人間ばかりになってしまっている。
健全さのない社会になってしまっている。
だから国力が衰えている。要は人間性の問題である。

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言い方が散漫になってしまいましたね。
要するに「一見、大正論のように大口あけて良識や性差や差別問題や他のいろいろを語ってる人々は、その多くは偽善者であり、実際には隠れて変なことばかりしてる」と私は思ってます。

梅雨はやはり明けてなかったのでは。

ですよねー。私は最初から疑ってました。
毎年、景気よく雨を降らせる台風がやってきて、それが前線を勢いよく押し上げて突然梅雨が明ける。
今年はどうなんだろう? もちろん私は完全に門外漢なわけです。


冷静に考えよう『復興へ決意新た、九州北部豪雨』2018年7月5日 20:50。ロイター。

私はもちろん被災地への同情の念を禁じ得ず、また被災者の方々には幸せになってほしいと心から願っている。
それとこれとは別だ。
被災地は復興するだろうか? ないだろう。詳細については語りたくない。もちろん別の形式で勃興するならあり得る(日本の他の地域が壊滅的に被災し人々が移住してくる/この地域で鉱山や温泉等の豊かな資源が発見される等)。復興はなく勃興はあり得る。そういうことである。
本日(2018年7月6日)九州北部で豪雨が繰り替えされている。
◯復興へ決意新た、九州北部豪雨
2018年7月5日 / 20:50 / 16時間前更新
https://jp.reuters.com/article/idJP2018070501001796

◯九州北部 命を守る行動を!
日本気象協会 九州支社君島 由希子
2018年07月06日11:35
https://tenki.jp/forecaster/yukikokimishima/2018/07/06/1207.html
午前11時までの24時間雨量は佐賀市北山(ほくざん)で378.5ミリに達するなど豪雨となっており、土砂災害や浸水害の危険がきわめて高くなっています。
すでにがけ崩れや河川の氾濫などが発生し、外に出ることが危険な状態となっている地域もあります。この場合、自宅の2階以上や崖から離れた部屋など、少しでも安全な場所に移動するなどして、命を守る行動をとってください。

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現代の日本はお金の使い方をもっと学ばなくてはなりません。
実はそれにはモデルケースがある。ニュージーランドである。
ニュージーランドは20世紀末に長距離鉄道の旅客輸送のほとんどを廃止してしまった。地方の寒村は無人化した。
人口300万人であり国力もなかったからだ。
しかし現在成長の途上にある。どういうことか考えてみてほしい。日本が「いま」していることは単なる感情論であり、とんでもない無駄遣いかもしれないのだ(私も感情的に被災地支援を応援します。しかしそれは感情に従う判断であり、勘定に従うと結論は別になる)。
※被災地の復興基準はバブル期前後の各種インフラが整った時代以降のものです。この基準値に問題がある。1970年代基準であればコスト的にも負担は小さい。1970年代ではまだ地方には未舗装路が多くあり、水道も未完備だったからだ。
要するに基準値の違いである。
日本も1970年代までの価値判断なら被災地全力復興とはならない。そこまでの国力はない。貧しかった日本だ。食糧は飢餓輸出に近い状態だった(日本の水産業がいろいろ言われていますが、もともとこれは輸出産業として開始され、日本人の口に入るものは余り物でしかなかった)。地方の炭鉱は続々と閉鎖され無人村ばかりとなっていた。
そしていままたそうなりつつある。これはその嚆矢かもしれないのだ。

最近の新自由主義の批判について。

新自由主義摘要以前の社会は福祉充実の社会ととらえられている。そういう目線でみられている。
大嘘です。
事実は異なる。1970年代までの日本は(バブル期以前の日本は)弱肉強食の時代であり、淘汰されるべきと判断された業種は淘汰され(石炭業等)、その労使管理は米国にまで影響を与えた。
近年の米国的労使管理。これはもともと日本発だったのである(このあたりは1980年代〜1990年代初頭までのルポルタージュ・小説等を読むと明確に記してあります)。
モーターサイクルメーカなんて数十社存在する中から4社まで絞られた。倒産した会社は? もちろん吸収されるか社員は別の業界へと移る。
それが1980年代以降、あるいは自民党佐世保重工の倒産を防ぐために国家的に介入する等の判断を行った以降(※これはその時代からそれを可能とするほど日本が豊かになってきたことが原因としてあります)「非新自由主義」の社会となって到来した。
現代の日本を否定するのは容易い。耳当たりもいい。その通り十数年前まで日本はそういう社会だった。
しかし1970年代までの日本人は永久雇用だったのか? 会社の倒産はなかったのか? 若者は「救われて」いたのか? ないない。
ないのだ。若者は新宿駅の駅前でたむろしていた。「フーテン」だった。場合によると家だってないのだ(なので知人の家に転がり込む)。旅行だって野宿だった。私は北海道旅行をほとんど野宿で回っているが、それは私たちの先輩である1970年代までの若者がそういうライフスタイルだったからだ(かに族。大きなリュックを背負い、客車のなかですれ違うときに横向きに歩くことから命名された。それを模倣して野宿でまわった。帯広駅前には無料のテント宿泊所があり、それは「かにの家」と命名されていた)。
それらの間に国家介入があり、バブル期があったから誤解されている。
日本は、貧しかったのである。

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大阪で行われた学会にリスナーとして参加したことがあります。研究室全員で出かけた。お金がなかったので全員で昨年まで東北大の研究室に所属していた先輩の家に泊まり込んだ。こういうのが基本でした。ホテル泊なんてなかったんですよ。

気温が低い・・ いまだ! 新部品の印刷を行う。

うおおお! こんな天気の使い方があったんだ。
温度条件は最高です。
さっさと設計してさっさとプリンタへ。
今回のパーツは人間の身体に結合させるものです。ロボットもいいのですが人体もありでしょう。