Bubbel 君『天野めぐみはスキだらけ!』の登場人物天野めぐみを激推しする。『キャンパスクロッキー』の天野めぐみとは当然別。小陳恋次郎は未登場。

2010年代の小学館週刊少年サンデーで連載されてる『天野めぐみはスキだらけ!』の登場人物である天野めぐみと、1980年代に集英社週刊ヤングジャンプで連載されてた『キャンパスクロッキー』の登場人物である天野めぐみは、ヒロインである点で共通です。両者の持つ色気の量は異なり、物語における出現頻度は明確に異なるのですが、可愛いし健全なマンガなんでそれはそれとして良しとする。
なんてこと私が言うわけないでしょう!
言いたくないが少年サンデー、「勝ち組」思考にとらわれている。主人公たちは高校生という伸び盛りの年代であり(※読者の年代と重なります。なのでこれは正しいとも言えるわけですが)勉強や運動の成果が直接に将来を決定する段階に至っていない。ジュブナイルでありモラトリアムである。それをいいことにカプセル化した世界の中でラブコメが描かれる。幸せで平和である。この流れが消えたとき現代の作品はどうなってしまうのだろうか?
『キャンパスクロッキー』では平和を破壊する者が登場する。
それは、主人公が4流大学の学生であり、主人公に恩義を感じて食事をご馳走してくれるという家を訪れても、大学名を言うだけで輸入物のウイスキーが買置きのビールに変わってしまうなどという、外部から言われなき差別を受ける点にある、という部分にあるのではなく、物語のカンフル剤として投入される主人公のBAKA方面でのライバル 小陳恋次郎 の出現にある。
小陳恋次郎である。
おかっぱ頭に黒ぶちメガネで詰襟の学生服を着用し、東大合格を目論みながらやってることは本能のままに暴虐の限りを尽くす、小陳恋次郎なのである。
この名前で検索したとき、自分のブログがいきなりトップ10に入ってきて驚いた。ネットに情報がないのである。
キャンパスクロッキーは主人公の大学生活を語るものなのだが、小陳の出現で物語は100パーセント別方向へと向かい出す(主人公が登場しなくなる)。小陳のキャラが強すぎて話を乗っ取ってしまうのだ! さっきまで真面目な人情話を読んでたはずなのに大暴れする小陳をみて、いつの間にか読者は大笑いしてお腹を抱えて床をのたうち回ってしまうのである。
気をとり直してページをめくってみると、何かに失敗して落込む主人公にヒロインの天野めぐみが優しい言葉をかけてる。
あれ? こういう話だったっけ??
そんなマンガなんだ。
『キャンパスクロッキー』は、『わたしの沖田くん』『ネコじゃないモン!』同様にヤングジャンプのあり方を決定した作品だったのだが(私は NAKAJIMA の部屋で読みましたが、当時の日本の大学の研究室にはおそらく何処にも置いてあったはずです。ノーベル賞受賞者利根川進氏は毎週週刊少年ジャンプを欠かさず読んでるそうですが、あんな感じなのだと思う)当時の内容はいまではほとんど忘れ去られてる。
いまでは小陳を出す前にラブコメは打ち切られてしまうのだ。

若者よ世界へ向かえ。いや向かってください。中華人民共和国山東省曲阜市のユースホステルは一泊574円。男の子はこういうのみて飛び込まなくちゃだめ。

曲阜市のWiFi事情どうなのかな? と思って、フリーのWiFiが保証されているユースホステルを検索してみました。
驚きの値段。相部屋574円・・
安すぎです。これはもちろんインドネシアより安い。2000年以上前から続く古都であり世界遺産登録の都市でこの値段である。
驚くことに周辺にある普通のホテルですら一泊1500円程度なんですよ。ツインひと部屋で。激安である。おそらくこれらは近い将来2〜3倍の値段になる。確実である。
行くべきです。夜行便なら飛行機は安い。北京ならひと月前に予約するなら夜間往復で2万円しません。 つ ま り 青 春 1 8 き っ ぷ と 差 は な い 。 そ し て バ イ ク に 乗 る よ り は る か に 総 額 で も 安 い の だ 。 これで他国の文化に触れられる。総予算は日本国内を旅行するよりはるかに少なく済む。
安いからおすすめしてるってわけじゃないんですよ。見るべきものが確実にあるから言っている。海外は衝撃である(特にいまのアジア圏。台湾は2年行かないだけで景観が変わった。中華人民共和国もおそらくそうである。彼の国は恐るべき速度で発展をとげている)。
いいカメラ持ってるんだから行くべきです。
いや行ってください。最近の若者出無精でネットにも世界の情報なくなっちゃっててまじで恐怖を感じます。日本が取り残されていくという恐怖に。
※私たちの世代なら即座に「えー!行く行く!!」となってた。いまは「疲れる」「夜間発着はないわ」「その期間アニメ見れない」「おいしいご飯なさそう」こんな返事である。
いやそれでも行くんですよ。誰も行かないならさらに行く。
日本のセールスマンは昔は世界のどこにでもいたのです。どこにも日本人はいたのです。
※10年前になりますが、ウクライナキエフのビル取壊し中の旧市街歩いてて驚いた。向こうから『地球の歩き方』持って日本人の2人組が歩いてくるのだ。こっちも日本人。他は誰も歩いてない。ウクライナ人もいない。誰もこないような辺鄙な場所に日本人だけがやってくる。
そういえば世界中で人質事件が多発していました。
何も考えずに行っちゃうのです。それが普通でした。気をつけてれば事件に巻き込まれるわけはない。危険情報は共有されているのです。
それでいいんと思うんだよなあ。

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「バブルなら人生余裕だよな」といまの若い衆は間違って認識してるかもしれません。
1990年頃のバブル時代って、会社も学校も、週休1日ですよ? 関係者どうしの濃厚な人間関係ですよ? 土日もゴルフで関係者とおつきあいですよ? 平日の夜には酒や麻雀で関係者とおつきあいですよ?
そんな環境に現代の若者が同じ常識をもってついていけるわけないでしょう。
土曜日出社となる。午後から休みだ。だから当時は即時にお出かけできる自動車やバイクが売れたのです。現代のように優雅な週末などなかったかもしれない。
現代のように、週休2日が標準ともなれば、1日休みを追加することで容易に海外に出かけられる。
こうなると自動車を買うより大きな経験がより安い単価で可能となります。
出発は仕事終了後でもいいのです(例えば金曜夜間に出国し月曜早朝に帰国する。土日はフルに海外ですごせる)。これはすごい。どれほどのパフォーマンスがあるのかおそろしくなります。

CANON PowerShot G1X。夜間専用機。月島もんじゃ焼き街。

全部が全部、だめだめのカメラでも、特定条件下ではすごくいい。欠点だらけのカメラなのにレンズだけはすごくいいんだ(手ぶれ補正も)。と思っていましたら。

⇒ うーん。モニタ違うと見え方違いますね。残念。
やっぱラチチュード狭いと厳しいんだな。

前代未聞の危機。たがわ靖之『包丁無宿』。ここまでやる。

見てるこちらまで脂汗が浮かんでしまいました。こりゃ業が深いわ・・
包丁無宿 38 たがわ靖之
https://www.amazon.co.jp/dp/B00IZC7F62/

※詳細はリンク先を読んでくださいね。

この厳しき世界『吟行の楽しみ(その9) 俳句一口講座 葛』日本経済新聞、『 吟行の心がけ 』ゴスペル俳句。リンクさせていただきます。

包丁無宿読んで、そこに出てきた単語「吟行」を調べてみました。
俳句では句の対象となる現場を踏んで練習を重ねていく。その現場に行く行為を吟行というのだそうです。
これは学ばされる。実際に昔の日本人は現場に足を向ける人々であった。
ネットで得た知識でものを語らないのだ。
そしておなじ短文の日本語でも、現場を踏むことで作られ他者の評価を経た日本語(俳句)と、噂話を聞きつけて作られ第三者を誹謗中傷する日本語(Twitter)とでは、どれほど格の違いがあるのかみてください。
※俳句が全部秀作でないのと同様に、Twitter も全部誹謗中傷というわけではありません。
Twitterは悪事千里を走るみたいなものかもしれませんね。悪意ある噂話が多くのリプを集め流通してる様子をみると、このひとたち大丈夫?と思ってしまいます。

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吟行の楽しみ(その9) 俳句一口講座 葛 日本経済新聞
https://www.nikkei.com/article/DGXBZO12914610W0A810C1000000/

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吟行の心がけ ゴスペル俳句
http://gospel-haiku.com/hl/hiketu.htm

インドネシアで購入したTシャツが発掘される。

画像はなしです。Tシャツ小せえ!
もちろんこれは人体の大きさがベルクマンの法則に従うが故の理由です。
まあ無理せず着れる感じではありました。
値段をみたら49900ルピア。日本円にして410円也。製造はインドネシア。ああこういうのならもっといっぱい買ってきてもよかった。
インドネシアでは人々は普通にスクーターか公共交通機関で移動し、服はTシャツかポロシャツであり、シャワーに温水は必要なく、要するに食事だけしてれば行きていける。
ジャカルタの公共交通機関であるバストラムの効率も非常に良い。おそらく地下鉄より良い。建設は安価に済みメンテナンスフィーも最小である。施設拡大は良好に行われジャカルタ都市圏は急速に拡大した。
乗るのも降りるのも巨楽(バス交通最大の障壁である入口出口での清算渋滞がないため)。列車編成のようにハイテクノロジを必要としない。ジャカルタ市民の力量に合ってる。

和田誠監督の第2作『快盗ルビィ』観たいです。前作『麻雀放浪記』は大傑作映画。

麻雀放浪記』はもう、あの廃墟の東京を映すモノクロのイントロだけでお腹いっぱい。主題歌は『東京の花売娘』。主人公である坊や哲は昔の仲間に誘われて薦を張ったバラックの賭場に向かう。豪雨の中だ。金目のものはない。貧乏人だけが賽の目に興じてる。勝っても何があるんだって世界だ。そこから得体の知れない男からのアドバイスを聞き、勝利し、腹一杯飯を食い、金をせがまれ、そして今度は進駐軍御用達の金ぴかな賭場へと向かうあたりで視聴者は完全に画面に没入してしまう。映画の中のことしか考えられなくなってしまう。
この没入への流れは映画の作りに必然である。映画の制作は1980年代前半、バブル期に差し掛かる日本の成熟期だ。その時代に戦後直後の荒廃した日本を描こうというのだ。出てくる人間はまともじゃない。博打で食ってる鼻つまみものたちである。くそみたいな環境でくそみたいな人間が互いの潰し合いに熱中する。敗戦の焼け跡から立ち上がろう、そういう前向きな話じゃない。
そんな映画なのに滅茶滅茶格好良い(原作ももちろん良い。しかしかなりの演出済みである。実際の博打場とは違う。それは文学作品なら当然である)。
現代の映画なら、学校から除籍され帰る場所も持たない風来坊の青年なんて最初から惨めで華奢な存在にしてしまうのに、ゴロツキやおかまが長屋や蓆小屋で時化た博打に興じるなんて汚いシーンにしてしまうのに、そういう脂ぎったシーンであるはずなのに、なんともいえない、華があるのだ。
あの華はなんなのだろう?
ぎらぎらとした飢えがどうこう言う話じゃもちろんない。
何故なら最初から主人公は勝利し飯が与えられているからだ。
教訓や飢えとは最初から縁を切っている。
なのに現代のようなすかすかで情けない世界観ではないんだよ。
なんだろう? そう見せるのが「スタア」なのかな? 役者なのかな。そういう映画を作れるのが監督なのかな。明白に線引きできるのは、それが学芸会映画ではないことだ。
第2作の『快盗ルビィ』は未見です。
でもいまこそ観てみたいって思うね。
華もくそもないこの浅薄な現代においてみると、丁度プレバブル期に『麻雀放浪記』を観ていたような感覚が得られるんじゃないかな?

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小泉今日子は生歌が歌えません(4枚目のアルバムタイトル WHISPER を参照のこと)。それでもこれを聴くと、その豪勢な作りになんか幸せになってしまいます。
小泉今日子 快盗ルビィ
https://www.youtube.com/watch?v=6uFlZ5z84m0