近代的天才あるいはニーチェとは何だったのか。驚きの真実を語る。ニーチェとはスティーブ・ジョブズである。

昨日の、病気に対しての心理的解決法についての続きです。
釈尊やイエスの行ってきた奇跡、信者の治癒、そういうものは、このような治療技術を大成したものであったことは間違いないでしょう。周囲から見放されていたものたち、ポテンシャルを秘め、しかしその能力が活かせず、パワーを発揮できないものたちは彼らの教団に入ることで増力が可能となった。つまらない人間ではなくなった。「何を彼らみたいな存在を・・」と、見捨てられたぽんこつを集めているように見え、周囲は笑っていたのに、いつのまにか勢力を蓄えていた。教団の構成者は十分に能力を発揮し、その集合体は、既存の組織に対する脅威の存在となっていたのです。
宗教の教祖の場合はそうである。
では宗教の否定者たるニーチェとはなんだったのか。
教祖の周囲には人々が集まる。教化をするというのはそういうことである。教祖はその時代において特殊な発言をし、そういう意味で天才であり異能者だったことは間違いないが、異常者としてみられていたわけではなかった。非社交的であれば、教団の形成は不可能である。
宮城音弥の時代では、クレッチマーの影響もあり、天才は異常者であり非社交的であるという認識が多かった。
果たしてそうか? 実のところ、ニーチェの主張していることは前者2者の主張するところと同一である(根本的な類似を示している)。ニーチェは紛れ無き天才であり、あるいはその典型として見なされているが、前者2者のような社交性は人生の後期において持ち得なかった(経済的な理由・健康上の理由はもちろんある)。
言ってることは同じなのにやってることは違うのである。
テキストのみ読むのであれば、双方の違いはわからない。ニーチェが仏教を止揚し、あるいは評価者から「イエスに嫉妬していたのだ」とまで言われても、やってることは違うのである。
その理由は彼が紙ベースで語るからである。
釈尊やイエスは人々に対して面前で語った。それらが後程経典や聖書を形成した。ニーチェは直接に書面で語り、中間過程を吹っ飛ばしている。
その中間の吹っ飛ばしこそニーチェの発明した事実である。
彼の主張する超人とは、中間過程を吹っ飛ばすものたちのことである。
※またこの項いいこと書いてますね。そして彼の時代、印刷技術が発展し事業化しコンテンツが求められていた時代では、彼のその行為はぴたりと時代に合致した(※10年〜20年ほど先行っちゃってますが、それこそ彼が天才であった証拠である)。20年早くあるいは20年遅かったら評価の対象にならなかった。出版という場に合致した存在こそニーチェだったのである。
教団や教会が社会をまとめておりその世界にほころびが生じ始めていたとき、新たなメディアとして出版物が大量流通を開始しようとしたとき、その世界に事前に適応していたものこそ、ニーチェなのである。
なんというか。
こう見るとアップル社のスティーブ・ジョブズなんかとあまり違いはみられないのであった(←とんでもない発見です)。

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ここで私は、ニーチェの語る内容でなく、ニーチェの語る様式に着目しています。
テキストの読解として語りにおける内容にのみ注目していたらおそらく真実はわからない。「エンペドクレスじゃねえか」「ギリシアおたくじゃねえか」で終わってしまうかもしれない。
しかし彼は大いなる発明をし長期にわたって人々に影響を与えている。
それは印刷物を中心に学ばれる時代において生じる事情を先取りしたことだ。
人々は直接、ニーチェの思想に触れる。当時は大学での講義が学問の中心にあり大手の哲学者はそれを通して語ったのだが、ニーチェは野に住む(下野した)アウトサイダーでありながら、それに近い影響力を、出版物という当時の先端技術を駆使することで結果的に行使することに成功した。
著述は全て日の目をみたのである。
あれらの3分の1でも保存されていなかったら伝説の誕生はなかった。書籍を保存するという環境が彼を生かした。哲学者=研究者=大学教員という過程を吹っ飛ばし、ニーチェの哲学は誕生したのである(実存主義を地で行き、それに成功する。新たな開発過程に賭ける。まさにジョブズである)。

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技法としての治癒に意味をみつけるわけではない。
その技術がどの経路で伝わっていくかが重要なのだ。
ニーチェは書籍に固定されたテキストという新たな流通形式が何かをもたらし社会を変革する予感を抱いていた。
その予感を満たすために、例えば彼の聖書である『ツァラトゥストラはかく語りき』等を著していくのだが(この冒頭の「三態の変化」は最高です。これだけ読めばいいかもしれない)当時のおたくであり現在では本屋や図書館にこもるようなちょっと特殊な人々においては彼の発言は全く耳に新たに聞こえたのは確実である。
そのルートを新規開発したわけだ。
類似のケースでポピュラー音楽をみる。
松山千春は、1970年代後半以降に日本の生活水準が向上し、若者が個室やミニコンポを手にし、レコードを自由に購入し始める時代が到来したとき、その場にあり、シンガーソングライターとして20代半ばで800万枚のアルバムセールスを記録した。現代の視点からみると計りしれない成功である。
もちろん彼の曲も素晴らしい。しかしあれが、例えば盛り場の弾き流しとして歌われていたら、その場限りで終わってしまい、ありきたりのポピュラーソングとしてしかみられなかっただろう。
大会で歌い、ラジオで歌い、流通を重ねて数年かけて大きくなっていった。
名プロデューサがあった。彼が育てたのだ。もちろん、ニーチェにもプロデューサがあったのである。

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それにしても凄いな。
それまでの世界では欧州においても人々は「村」の中で暮らしていた。19世紀半ばまで、人々は半径10kmの社会の中から出なかった。
そこに鉄道による流通革命と書籍による情報革命がいきなり的に到来した。
ブルドーザで押し流されるように変わってしまったのである。
ニーチェが登場したのはこの時代であった。
それまでの欧州社会では不文律が浸透し厳重なる社会規律に縛られる必要があった。社会は不文律のかたまりであった。人々は意思を通す前に先ずそれらに従う必要があった。その不文律を撤廃する時代が来訪した。人間がそれを要請したのではない。機械技術がもたらした。人々は誰も販売された書籍を読み社会に疑問を抱くのである。
ニーチェはおそらく鉄道や印刷物について著してもよかったのだ(※元からそういう方面への関心がないことを知ってて私は書いてます)。銀行システムや鉱工業の発展について著してみてもよかったのだ。
しかし彼は彼自身のフィールドである宗教をベースに書いた。それらが時代遅れであることを知っていて敢えて書いた。だからそれらを結果的に攻撃し道徳の破壊者とまで見なされた。
彼は、時代が進歩していることを目撃して書いており、結果として時代に取り残され失われるものたちを、浮き彫りにするように記述したのである。
この項、秀逸。読めた人々は幸せです。

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しっかし本当にすごいな。
この段階で「再度宗教を強化しよう」と考えたのではなくて「宗教もう終わりだわ。さあて次、次!次いきましょー!!」とけつまくりを決め込んでさっさと進む。素晴らしい。
甘さのないところが素晴らしい。多くの死線をくぐってきたのだ。
農家や農民に夢をみてしまった自分には持ち得ない、真の意味での硬派な視点なのだった(よほどの事情があったのだと理解できます。生命や存在の危機に根本から脅かされた。その状態から快復する。支援もあるかないかの状態で。こんなことできるの!?と驚く。本当に未来がみえていたのだろうか!?)。

私が、カタログデータはどうだっていい、未来は修正可能である、子供たちを信頼していると語る理由は上記に拠る。子供たちの足かせになっているのはその上の世代である。

少子化は根本的に解決可能です。他の問題も解決可能です。その上の世代が重石となっている事実を排除すればよい。
彼らは自律的に考え最適の選択を行う。
自律性の中にこそ未来をみなくてはならない。

がんばれ花咲徳栄、埼玉県勢初Vへ王手!・・って、埼玉県民はどこ!? 移民王国さいたまについて。

花咲徳栄、埼玉県勢初Vへ王手!東海大菅生との延長戦制し決勝進出
8/22(火) 16:08配信
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170822-00000117-spnannex-base

◇第99回全国高校野球選手権大会準決勝 花咲徳栄9―6東海大菅生(2017年8月22日 甲子園)

 第99回全国高校野球選手権大会準決勝が22日、甲子園球場で行われ、第2試合で花咲徳栄(埼玉)が東海大菅生西東京)を延長11回9―6で下し決勝進出。埼玉県勢として夏の甲子園初優勝まであと「1」とした。

 決勝戦は明日23日の午後2時開始予定。準決勝第1試合で1大会個人最多本塁打記録を更新した今秋ドラフト1位候補の中村奨成捕手(3年)擁する広陵(広島)と激突する。

 初回に2点のビハインドを負うも2回に1点を返し、3回1死満塁から須永の三塁強襲安打で2点を奪い同点に追いついた。

 3回裏に1点勝ち越されたが、4回に太刀岡の左翼線への適時二塁打ですぐさま試合を振り出しに戻した。

 5回以降は両校ともに得点が入らなかったが、8回2死満塁から岩瀬が左翼線への2点二塁打を放ち勝ち越しに成功する。だが、9回1死から同点に追いつかれ延長戦へ突入した。

 迎えた延長11回、高井の2点適時打と暴投で再び勝ち越し。壮絶なシーソーゲームを制した。埼玉県勢は93年春日部共栄以来24年ぶりの決勝進出。

 東海大菅生は初回に2点先行するなど序盤は優位に進めたが、終盤はリードを許す展開に。9回土壇場で追いつくも、延長戦で屈した。11年の日大三以来6年ぶりの東京勢決勝進出はならなかった。
https://www.kyureki.com/score/279080/

根室に行きたい。

理由=遠いからです!!
いや、JRの路線がこのまま維持できない可能性も高い。昨年の大雨の被害からJR北海道は回復していない。列車だけ使っていたら、まともにたどり着けない可能性も高いのです(別路線を使う手もありますが・・)。
夏でもおそろしく寒い。根室半島はいつも霧の中だ。
そして列車の窓からは原野の風景が広がる。農地もあるが、作物に不適な土地も多い。
そこは東京の反対の日本である。
※行きたいといっても、根室に観光に行きたいと、そういうわけですよ。住みたいわけではありませんよ(自分は寒さに耐えられないし行動範囲も明確に異なる。しかしだからこそ行く意味があると思っている。意識への入力が大きいのだ。あれらを見ると何か頑張らねばという意識になる。「ああ〜関東に住めてよかった」とはならない。ここが重要だ。テレビ等みてるだけでは「ああ〜関東に住めてよかった」という意識が醸成される。その独善がそのひとの生活を破壊する。その意識をもつときがそのひとのピークであるからだ。テレビは安心をデリバリーし(※テレビ以外のメディアもそうですよ)意欲を失わせ20年でそのひとを侵食するのである)。
※ここは、重要です。もちろんこの意識をもつときは自身で動かねばなりません。
パックツアーで着たとしても「ああ〜関東に住めてよかった」と思うばかりでしょう。
その意識は何かを壊すでしょう。なぜなら関東も永遠ではなく、またこの時代も永遠ではないからです。