集英社 少年ジャンプ+『男坂 昭和関ヶ原 仁義九兄弟 鯨海乙女編』第六話 送る詩の巻。車田正美。聖闘士星矢の小宇宙(コスモ)は偉大なる大宇宙に吸収された。土山しげる『喧嘩ラーメン』について。

そういうわけで堂々と「(由緒正しき)少年マンガ」を読んじゃう私です。
いやあでも複雑な気分だな。この、主人公が地方行脚して仲間を募っていくパタン。
この路線なら、出歩く先で現地で生じている問題を山下清のごとく続々と解決していく様子のほうが、よかったんじゃないですかね?
1990年代後半のラーメンブームの起爆時に広く読まれていた傑作マンガ 『 喧 嘩 ラ ー メ ン 』 ( 土 山 し げ る ) 。あれはそういうマンガだった。
各所の伝統、人々が抱える家族や経済の問題、地方に独自に伝えられているご当地ラーメンの製造技法など、有り余るねたを放り込みながら、最後に毎回ラーメン対決を仕掛けるのだ。その対決を経ることで先述の問題を一挙に解決してしまう。しかも毎回「うそだろこれww」といったスケール大きい外連味溢れる演出をかましていくのだ(瀬戸内海では小舟で揺られながらの海上での麺打ち、久留米では高さ3m直径2mにも及ぶ巨大鍋でのラーメンスープ製造等。100パーセント嘘でありまた本編と関係ないのだが、絵として見せる為にそれらを描く)。主人公が地方の出先で居候を決めるその相棒となる住人たちは、みな、時化たアパートや六畳一間の住まいだ。決していい生活などしていない。ラーメン一筋の無欲な存在である(ほとんどの家ではテレビもない)。
その圧迫感から解放されるように、台所やその先の試合会場で大暴れをかます。それは暴力の巷なのではなく、スケールの大きな調理対決によってなされるのである。
↓この路線。萩の住人との対決は結局陶芸対決に持ち越された。萩の住人の主張する小宇宙(コスモ)は大宇宙に吸収されたのであった。

喧嘩ラーメン 1 (ニチブンコミックス) コミックス – 1995/11
土山 しげる (著)
https://www.amazon.co.jp/dp/4537096195
※※日本文芸社のコミックだから販売部数は少ない。しかしこれ、ヤンジャンヤンマガで連載してたなら部数は10倍いってますよ多分。
あ、「かわいい女の子」出てこないから無理かww 巨乳のww 現代のマンガ視聴者はそういうの先にあるもんなあ。

「◯◯教室」の普及で、子供が早くから才能を開花させることがかえって知られなくなってきてることについて。

また昔話です。
1980年代前半頃まで。塾とか予備校とかは現代のようには普及していなかった。
それどころか塾や予備校に通うことはかえって馬鹿にされていた。「勉強できないから塾にいくんだ」そう見なされていたのです。
その当時。子供たちは放課後以降、時間は空いてた。それでもやることは山ほどある。学校では部活動があり、図書館からは本を借り出し、本屋があれば新刊をチェックし、誰それが新しい機械を買ったといえばその様子を見に行く。毎日することがあって時間が足りない。それらに加えて自主的な勉強までするのです。
大人たちはそれらを余裕を持ってみていた(※一部の大人です。私のように禁止されたところもあります)。コンピュータなんて教えられてするものではなかった。だいたいコンピュータを見たことある大人なんていなかった。それらは雑誌で情報が広がり、噂話として浸透し、秋葉原にいったときに買うのです。教えてくれる人も誰もいない。自分で勉強する。もちろんこれはコンピュータに限らない。あらゆる分野でそうだったとも言える。
そういうのなんかなくなっちゃった気がしますね。
◯◯教室に通えば自分よりできる先生がいて当然だ。そこで習う。教える側からみれば成長が早いったって自分のレベルには追いつかない。その様子を見て「親」は「教師」は、子供がなかなか習熟できないと外野であるのにやきもきする。
ああ勿体ない。なんで早期に潰そうとするのだろう。実は子供なんてそのまま半年放置すれば教師や親のレベルなんて軽々超えてしまうのです。